2014年10月21日火曜日

今日の想い 801 (理想と希望)

どんな状況であれ、希望的なものを見出しながら、希望的未来から見れば過去である現在に、希望的未来に生きる感情を引き戻して喜びを感じる。そのように喜びは今を喜ぶ以上に未来を見据えて喜びを覚えるようになりたい。具体的なことを言えば、願う状況をありありと想起できてこそ先ず感情に於いて現実化し、そして生活の中の現実となる。それは言うのは簡単だけれども決して容易いことではないし、現状から逃げ出すことでもない。精神的存在である人間の精神的霊的創造だ。現段階の人間は万物を置き変えたり繋げたりして新たに創ることはできても、万物そのものを創造することはできない。しかし精神的霊的創造をすることで、その引力で万物や元素を引き寄せることはできる。人間は感情を持った動物の位置からは縦的段階を上っていって理想のある神様に向かっていく。つまり喜びを得たいという位置から希望を見出そうとし、希望を見出そうとする位置から理想とは何かを尋ねる。現実から理想を尋ねていくのではなく、それとは異なり、先ず理想を提示して理想の具現を現実に見ようとするのが本来の宗教の使命だ。しかしいきなり理想を提示されても現実が堕落圏にある以上理想の概念は到底受け取れない。しかし高次から低次へ、より理想に近い位置から現実へという、逆の流れを用意できると神様の理想を捉えやすくなる。み言葉の本質を受け取ることは簡単ではない。しかしみ言葉の理解がどれほど稚拙なものであっても、高次から低次へというベクトルを用意することで希望的未来に生きるようになる。堕落圏の希望ではなく理想からくる希望に生きるようになる。神様の理想があり、そして希望があり、そして喜びがある。多くの人間は理想も希望も喜びも平面的であり同じ意味合いでしか捉えていない。しかしみ言葉に立てば理想と希望の立体的違いを明確に理解し、当然のように見ることができ、よって当然のように現実化する。理想は神にあり、希望は未来人間にあり、喜びは現在人間にあり、創造結果は過去人間にある。創造結果、或いは堕落結果に埋もれて生きれば過去人間であり、喜びに生きれば現在人間であり、希望に生きれば未来人間であり、理想に生きれば神の領域(位相)に立つ。

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