2014年10月2日木曜日

今日の想い 794

反対派はおろか本流に沿う者達の中にも、上に立つ者と下で支える者、指示を出す者と指示に従う者、さらには搾取する者と搾取される者、という構図の観念から抜け出せない者達がいる。連絡、指示だけなら上下意識は役に立つのかも知れないが、摂理が目まぐるしく変わっていくこともなくなり、それぞれの自主性、主体性が要求される状況になってくると上下意識だけで果たせるものではない。もちろん教会としても組織で動いてきたわけだし、今でも組織体制を崩せば依り代はなくなってしまう。しかし今の教会は上に示した構図の組織体制からは変わってきている。立てられた中心者を中心とするピラミッド体制によらなければ我々の存在を維持できないと信じているが、この世では既に会社存続するためには強固なピラミッド体制では無理があることを察して、柔軟ないつでも変容できる組織になってきている。特にネット空間を存在基盤とする新しい会社はその性質上からもそうならざるを得ない。外的世界の方が先んじて進化しており、その器の中に新しい内的世界、より理想的な内的在り様が住むようになるという、それは別に今に始まったことではない。体が先で心魂は後からだ。原理型の非原理社会が内的なものより先に政治経済に起こってきた。しかし旧態依然の世界観念から脱却できず、今の中心者を批難しながら新しい中心者に挿げ替えることでピラミッドの存続を図ろうとしている。どこまでもピラミッドから離れられない。教会が霊的柱を立ててそれに属するのではなく、それぞれの家庭で霊的柱を立てる必要がある。だから家庭教会であり家庭連合だ。そこには今までにはなかった自主性、主体性が求められるのであり、祝福中心家庭として宿命的な氏族復帰の命題を与えられている以上、中心者批判、教会批判をしているような暇はないはずだ。御父様は完成、完結、完了と言い残されて聖和された。それは御父様は使命は果たされたから後はあなた達の責任だ、と捉えるべきなのかも知れないが、私には私達子女に対しての真の父としての重大なメッセージだと思える。父であるなら残す子供に対して、ラクダが針の穴を通るほどに難しい宿命的課題が残っているにもかかわらず、そんな言葉を残されて旅立たれるだろうか。そうな呑気な独りよがりの御父様ではないはずで、御父様が「あなた達は既に御父母様の勝利内容を相続した」という確信がなければ、そんな言葉を残されるはずはない。或いは、霊界からどんな応援部隊を送ることもできるので必ず勝利するという御父様なりの確信があるはずだ。私達は未だに多くの為すべき事柄が残っていて途方に暮れるような心境だとしても、御父様には私達それぞれの将来的勝利を既に見ておられて、よって完成、完結、完了の言葉を残されたと思える。氏族復帰にしても、私は宣布するべきだけれども霊的な具体的活動は霊界の協助によるものであるし、霊界の協助は天の命令によるものであって、よって御父母様の勝利圏は私達の勝利を約束している。もし私達が古い革袋、すなわち旧来と同じように組織体制に寄りかかっている限りは、為すべきことも組織を通して受け取ることになるという、天との間接的関係しか持ち得ないが、後天開闢時代の新しい革袋、私と私の家庭が依り代となって天との直接的関係を持つことができるようになり、為すべきことが直に伝わるのであり、何をすべきかを刻々と判断できるようになるし、堕落することもなければ判断を誤ることもない。勝利への直近経路は照らし出されている。

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