2015年7月13日月曜日

一なる唯一神と二なる二性性相の神様

「唯一神が存在する」という言葉と、「存在は授受作用による」という言葉は平面的に見れば矛盾している。なぜなら存在が授受によるなら、存在には主体対象という二つの概念が既に含まれているからだ。唯一神の存在は本性相と本形状の授受作用によっている。一なる存在と存在するための二つの概念が矛盾しないのは次元を超えた見地に立っているからだ。次元を違えて、すなわち平面的ではなく立体的に捉えることで2が1になり1が2になるという理解は当然のことだ。原理と御父様のみ言葉が矛盾すると感じるのは、異なる次元について語られているからであり、霊的無知状態にある私達の限界がそこにある。無知である自分を棚に上げて、平面的尺度で原理と御父様のみ言葉の矛盾、さらには御父様の言質とそれに対する御母様の反逆的言動、などは平面的にしか捉えられない私達の理解の限界を晒している。唯一神と天の父母様をどう捉えるか、黒表紙と赤表紙をどう捉えるか、真の家庭の理想と御家庭の現実をどう捉えるか、全ては私達が平面的次元に留まる限りは理解できず、御父母様の願いに対して背を向けてしまう食口が多くなる。反対派もいて分派もたくさんいて、御子女様それぞれに旗を掲げる。そう捉えてしまう次元を糾合できる新たな次元に立たない限り、正分合が正反になり、合が正しく合になり得ないだろう。今の現状を見て反ではなく分だったと近い未来に言えるとすれば、そこに心情の働きが必ずあるはずだ。アベルとカインが一体化するのも、夫婦が一体化するのも、そこに一つになって欲しいと願う心情を見出さなければ分離した分ではなく相反した反になる。そうなると堕落したという事実を認めるなら、唯一の創造神が地上世界を創造してそれで創造理想が完遂された訳ではないということは理解できるし、創造神たらしめた心情が創造神の次元を超えてあり、その心情を中心として創造理想が完遂されると理解できるのではないだろうか。その心情の起点が夜の神様であり、そして創造神は昼の神様という概念が成り立つ。



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