2015年7月4日土曜日

今日の想い 859

御父様の口からみ言葉が溢れ出るのは、み言葉が生きて活動している次元におられるが故だ。三次元世界の世界観では見通せない、まさに高次元、更に多次元にまたがり自由に往来しておられる。霊界に上られた御父様だが、私が死なずとも生きてお会いしようと思うならば、三次元を超えた世界観を持てばお会いできる可能性は十分にある。み言葉は確かに霊的なみ言葉だけれども、地上の時空間概念という位置から離れない限り、霊的という意味すらもわからない。地上の位置から霊界の事実は象徴的にしか捉えられないのであり、まして霊界を見通すことなど地上意識のままでは無理だ。意識があって認識できるのであり、地上意識のままだと地上的認識でしかない。霊的感性の未熟な私達の霊界認識も多分に地上的認識であって、それは天宙を包括する多次元を見通せる位置で認識する霊界の地上意識面への影でしかない。御父様は全生涯を通して公的に生きてこられた方であり、人類と神様に供えられた血と汗と涙の精誠が次元の壁を壊されたのであり、私達の意識を三次元の枷から解放して下さる。誰の為でもない私の為に流された血と汗と涙であることを実感できれば、御父様の世界観、天宙観を受け取れる心情圏の核に到達できる。御父様の世界観、天宙観こそが真実であり、その真実からすれば、私を取り巻く地上の現実は実体をもたない影に等しい。現実が私を取り巻いていると思っているけれども、私が相対する霊的世界の表象として、写し鏡のように現実を見ている。私の偽りの本質が現実を見せていると言ってもいい。現実は影で私の内的世界こそが実体だ。後天時代は先天時代の世界観が反転する。内面世界が生きる現実になり今までの様に外界に重心を置いて生きることはなくなってくる。私達は三次元の世界観を超えていく。外界が変わりながら内界が変わっていくのではなく、私達の意識が変わることで先ず内界が変わり、それによって外界も意識の光が新たな認識、新たな文明という光の表象となって変わってくる。御父様と同じ世界観、天宙観に立てないのは、私の意識が御父様と同じ心情圏の核から発せられたものではないからだ。

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