2015年8月29日土曜日

今日の想い 876 (聖和三周年を迎えて)

昔は、人事を受けたら三日以内に移動するように言われていた。新たな摂理路程出発のためのサタン分立三日間だ。講論にあるようにアブラハムが三日の猶予をしてイサク献祭の信仰を立てたことから来ている。よって新しい摂理の出発は常にこの三日期間を必要とした。御聖和3周年を迎えた。3年の喪の期間を超えたのであり、それは先回も言ったようにこの3年が出発の為のサタン分立三日路程だ。3日がどうして3年になるのかと問われれば今の時点では説明のしようがないが、説明できないまでも私は確信を抱いている。この3年という期間は実に混迷を極めた。それこそ暗黒の三日間だった。アブラハムがモリヤ山に行き着くまでの葛藤をそれぞれの位置で味わい超えてきた。それは別の表現をするなら先天から後天への産道であり、敢えて言うなら御父様信仰の蛹(サナギ)を脱いで御母様を通して天の父母様に向かうという新しい意識を持った自覚に目覚めることでもあると思っている。黒表紙から赤表紙の天聖経に、一人息子から一人娘に、教会の説明には無理に論理付けようとして苦しい説明になっていると思われるのを否定できないが、はっきり言うなら御父様中心の信仰から御母様中心の信仰へ、天の御父様から天の父母様へ、聖霊として母が協助して父の願いを果たすものから神霊として霊界から父が協助して母の願いを果たす父子協助へと、信仰観、世界観からして全く変わっている。それほどの意識改革が為されてこそ実体的天一国は着陸するのであり、世界を席巻する運勢圏を手にし実力を行使できるようになる。昨日食口の従業員を通して個団に責任を持つ兄弟からレターサイズの封筒を戴いた。開けてみると御母様の御写真が一葉入っていた。それをつくづく見ながら、いよいよ新しい時代圏に入っていくという感慨を覚えた。新しい時代の運勢圏は御母様と共にある。もし御父様への慕わしい想いが御母様へ向かう想いを妨げているとするなら、それは切って捨てるべきだろう。それは先天時代への執着であり、踵を返して回帰へと向かってしまう。新しい後天時代は御母様への想いなくして切り開かれることはない。先天時代の私に未練はないときっぱりと決別すべきだ。臍(へそ)の緒は切ってしまわなければならない。

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