2015年8月1日土曜日

今日の想い 868

8月に入った。新しい出発だ。先月、エアコンのパイプが壊れたか何かでカーペットの下を水が這い、表面にも浸透してきて濡れるやらかび臭いやらで大変だった。アパートのオフィスからカーペットの張替えをするから全部移動させるようにと言われたが、これだけの荷物をどこにどう移動させるのかと問うても肩をすくめるだけで返答はない。こちらでは無理難題を要求されることは良くあることで、憤慨を抑えて交渉しないと埒は明かない。で、結局交渉の末、同じ建物の他の部屋に移ることになった。今度は南向きだし、ベースメントから二階に移ったので湿気も無く生活環境は向上したが、一緒に住んでいた下の娘が飛び出してしまった。すねかじり状態だったから独り立ちするためには良かったといえば良かったのだが、送り出すのではなく飛び出したのにはそれなりの理由がある訳で、晴れ晴れとした気持ちにはなれない。これから一悶着、二悶着とあって亀裂は修正されず続くだろう。本当はこの年代なら祝福も受け、家庭も築いて孫を抱いていてもいいのだが、思い描いたような家庭理想はそう簡単には実現しない。正直をいうと家庭地獄の状態だ。家庭ですら地獄なのに氏族を復帰するなんぞ失笑ものだが、それでも希望を捨てずに前進するしかない。絶対信仰で乗り切るしかない。家族は当然一体だと思っていたし、私が親に対して抱いていた尊敬の思いや感謝の思い、さらに親を畏れる思いも、私という親に対して子供が同じように持つものだと思っていたが全くの当て外れであった。父権の強い一昔前の家族のあり方は今は無い。食っていける感謝、生活できる感謝から、今では逆にうるさい親などいない方がいいとまで思っている訳で、父権の力を見せ付ける前に親の愛を見せ、愛ゆえに繋がる家族だという認識を共有できなければ家族はバラバラになる。今の時代愛して一つになるという強い覚悟が必要だ。ある意味家族一体でなければ世間を泳ぎきれない生活環境があって、形として自ずと一つになっていたのに比べ、今は愛の強さがなければ一つにはなれない。愛と真の愛の違いは何だろうかと悠長に問えないほど、実践としての真の愛の投入を要求されている。

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