2019年5月19日日曜日

嗅覚を通して

私がアメリカの生活と日本の生活の違いとして最初にあげるのは、何といっても臭いだろうか。アメリカでは鼻を通して感じる環境にはほとんどない。しかし日本での生活は嗅覚で感じるものに占められている。それは土地が狭く人と人の接近度が近いという理由もあるのだろうが、様々な生活臭を抜きにして日本の生活はあり得なかった。たまに帰国すると、日本の空港に着いた途端に鼻に覚えるものに溢れていて、嗅覚で判断する感覚が起こされたことに気付かされる。田舎に住んでいた子供の頃は更に臭いに溢れていて、土間の土の臭い、牛舎の糞だまりや枯草の臭い、茅葺屋根から降りてくる煤(すす)の臭い、祖父の強い加齢臭や母の乳臭い臭い、もちろん厠から流れてくる肥溜りの臭いも立ち込めていた。外は外で堆肥の臭いや野草から立ち上る臭い、一雨降ったあとの生臭い臭い等々、息苦しいほどにいろんな臭いを肌に感じて生きていた。視覚や聴覚に届くものより、嗅覚で捉えられるものはより私の中に入り込んで浸透していくようで、影響も大きい。それは肉的な影響というより、何とも表現しかねる内的な霊的器官に影響を受けているらしい。というのは影響が後あと残るからだ。魂への何らかの仕打ちを受けるときに以前体験した臭いがふと蘇ったりすることは何度も経験している。しかし臭気体験の極めて少ないアメリカだからこそ学んだことがあって、それがお金の臭いだ。もちろんお金自体を数えるときに感じたのはもっともだが、その臭いも様々にあることもわかり、それぞれに遍歴の過去の念の様々がその違いに表れている。そこから発して、売り上げが多い時の前触れの臭いや、逆に流れてしまう前触れにも何らかの臭いを嗅いでしまう。嗅覚というのは五感の中で最も霊的感覚に近いものだということがわかった。その意味では日本の生活は、決して良いことばかりではないが霊的影響を受けやすい生活でもある。日本の空港について外に出た時のあの優しい甘い匂いは魂が酔いそうなほどだ。それは受け入れ抱擁してくれる匂いでもあるけれど、気を許せば誘惑されてしまいかねない臭いでもある。

0 件のコメント: