2019年5月8日水曜日

天情時代とは?

物から人へ、さらに人から天へ、というのが摂理のベクトルだ。御父様は、物情時代から人情時代、人情時代から天情時代と言われた。お金に関していうなら、お金そのものへの信頼性から人間への信頼性にお金は依拠している。お金という現物が先立たない限り人物への信頼性は二の次だった時代から、現物が先立たなくとも人物への信頼性で信用が取れてお金が用意されるという、要するにクレジットカードの出現はその人物への信頼性に依拠されてお金を出す出さないの判断が主管される。それが物情から人情ということだという仮定に自分は立っているが、更に天情への信頼性とは、という疑問がある。今の時代、経済も金融も人間への信頼性がなければここまで発展することも、やり取りの自由解放もなかったはずだ。しかしその信頼性がシステム化されてしまい、システムで経済も金融も動いていてシステムが複雑化されればされるほど基にある信頼性の本質が薄れている。日本はバブル崩壊から財政出動、金融緩和という仮の信頼性を大量に差し出し続けて今に至っている。システムはそれで動き続けるが既に信頼性の基盤は失っている。アメリカは複雑になったシステムの暴挙がリーマンショックを引き起こした。本当はリーマンショックどころか全ての銀行が破綻するほどの巨大爆弾を抱えていたのだが、FRBが紙切れになった銀行保有の債権を一時的に額面のまま買い取ったことでシステム破壊は免れた。そこに投入した仮の信頼性もまた莫大だ。要するに日本もアメリカも信頼性という本質は見失っている。システムはリーマンショック以来株価を3倍に戻しているが、信頼性を失ったバブルであることは明らかだ。これが遠からず爆発して恐ろしいほどに収縮する。これを解決するのは次元を超えた全く新しい経済と金融の秩序だ。おそらくそこに天に対する信頼性が組み込まれるか、あるいは天情という信頼性による組み直しなのかが予想される。摂理に貢献する自分であれば、その神様の地上への手の入れように何とか加担したいと思うだけで、どういう段階を経てどういう方法でというのは今現在全くわからない。

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