2023年5月7日日曜日

今日の想い 1239

 鬼畜米英を敵とする戦時中の天皇を拝する国体も、サタンと悪霊を提示されて闘争中の御父母様を拝する信仰も、どちらもその御尊名を口にして崇めていれば御恩に与るという同じ信仰態度が伺える。御父母様が願われていると言われたら、もはや疑いは抱かない。み言葉にこう書いてあると言われたら、それは絶対であって異論を挟む余地もない。そのように先天時代の私達は御父母様を奉る全体主義だった。御父母様が地上の神、あるいは神の代身であるうちはそれでよかった。しかし地上天国は全体主義の世界だと言えるだろうか。あるいは条件として摂理が要求したからそういう体制を取ったのだろうか。であれば限定的だろうし今は今の摂理的要求に準ずるものでなければならないはずだ。教会を断罪する或る二世は、あることないこと言い立てて、非道だからこそ解散すべきだと声を張るが、摂理的要求として今までの教会体制はそぐわないから新たな体制を取る必要があると私は思う。おそらく教会が自分で自分を変えられなかったから、天は外的圧力を甘受すべく断罪されたのだろう。甘受という言葉を使ったが、この苦い仕打ちを否定せず言い訳もせずしっかり受け止めて、その苦味(にがみ)で体も体制も純化して、新たな摂理要求に応えうる私達となるべく蛹を脱がなければならない。私達の声を聞いてくれと言うのはどうにも摂理と歯車が嚙み合っていない。おまえは信仰を失いサタン圏に頭を下げるのかと、指さす食口に対してはこう反論したい。とことん御父母様中心の全体主義で行くなら、御母様に生命を張ってでも、危険性をしっかりと進言するか法を搔い潜り世間を納得させ得る方策と緻密な戦略を持つか、どちらかでもすべきだったが、それほどの覚悟と責任感情が私達にあったのかと、、。結局はこうなることを誰もが心の片隅で思っていたはずだ。外的には左翼勢力に負けたのであり、内的にはお粗末で傲慢で無責任な幼い精神を神霊によって打ち砕かれた。

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