2023年5月31日水曜日

逍遥から本殿に向かって 4.

 以前と比べて信仰的、或いは道徳的規範は随分と崩れているのはその通りだが、同じ行為でもそこに罪の意識をどの程度覚えているかは一昔前とは隔世の感がある。婚前交渉を持って罪悪感を抱くのは極めて少なくなっている。お互いが恋愛感情を持てば当然の成り行きとなる。私達の信仰の観点から見るなら、罪は罪であるのに罪悪感を抱けないことがサタンの罠だと言うことになるが、果たしてその論理が正しいかどうかは疑わしい。私は罪悪感を抱かなくなった、即ち恐れを抱かなくなったこと自体が既にアダムエバに関するサタンの罠が今の時代に当て嵌まらなくなったと思っている。何故なら恐れの感情こそがサタンの思うつぼだからだ。LGBTも含めて人それぞれに様々な愛のカタチがあって、神がそのカタチを通して愛を受け取られるかどうか、それはフリーセックス、性の自由という本能のままというよりは、愛の自由だと思う。自由な愛のカタチをして神様を開放する、という言い方が当て嵌まるかどうかと言うことだが、今までの神観だと、すなわち昼の神様だと受け入れられないのかも知れないが、果たして夜の神様という神観からしてどうなのか、夜昼の神様からしてどうなのか、という話だ。性が先か愛が先かという観点より、性と愛、どちらがより重要視されるかという話だと思う。性というのはどこまでも形に拘る地上の事だと思うが、愛は形を超えた、地上を超えた、次元の壁を超える概念だ。愛の為の性であって性のカタチに縛られる愛であるはずがない。

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