2023年5月16日火曜日

今日の想い 1242

 生(意識)を通して魂の成長とし、また死(無意識)を通して魂成長の意味を知る。主管する位置で知情意の魂を一つとし、犠牲を甘受して魂の背後の霊と語り合う。善を標榜して魂を鍛え、悪なる現実に腰を折られて魂の謙虚さを霊に刻む。言葉を言い換えれば、魂の前進が地上の成長を促し、魂の後退を経験して霊的な深みを学ぶ。勿論、霊的深みを掘り起こすことで魂の新たな前進をもたらすのであって、もしひたすら前進し続けるとすれば人間の霊的力は枯渇する。だから人生に波があって当然であり、上がれば下がるのは必然であり、人類社会の歴史も経済の流れにも同じように波がある。より上がればより下がるのが原理原則だ。人間が地上を生きるのは魂で生きるのであり、肉体で生きていればいいという話ではない。魂がどれだけ高くそして深く、どれだけ強固にそして柔軟に、どれだけ包括しそして個別に入り込めるか、ということなのだが、私達が地球村を標榜するに於いてそれは包括的らしくはあるけれども、本当に包括的であろうとするなら一方で個別的なことにしっかり光を充てて向き合ってこその包括なのだが、その辺りは偏りすぎていて全体主義に陥りやすいと私は思う。今の若者がそうであるように、様々な方面で個の力を発揮できる二世達のはずが、一世の祝福子女へのあるべきイメージが余りにも偏り過ぎていて、その被害を受けている場合が相当にあると思っている。一連の問題で或る祝福二世が反教会の立場で脚光を浴びたが、教会や食口は彼女に対して批難一辺倒であるのもおかしいし、彼女をそう駆り立てた原因を謙虚に真摯に尋ねないのもおかしい。悪霊が働いてサタン化した、などという決め付けを中心者から言われるがまま鵜呑みにできるものだろうか。もしそうであるなら解散要求を待たないまでも既に教会組織は終わっている。 個の力を発揮できることを容認すれば反全体的になるのは当然だけれども、それまでの全体的なものが合わなくなったということであり、新たな包括案を提示する必要を是とすべきだ。神の摂理の前進が積み上げ一辺倒ではなく破壊的である場合もあるし、歴史の転換点は破壊的な場合が殆どだ。私は普通の食口とは異なり、破壊的でありサタンと呼ばれるほどの二世が現れるのは神の叡智をそこに見る想いだ。

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