食口とこの世の人達の違いは何だろうか。神側とサタン側? 祝福を受けた罪のない人達と地獄圏から抜け出していない罪のある人達? 為に生きる公的存在と自己中心の私的存在? あるいは単に原理とみ言葉とアボジを知っている立場と知らない立場? どうすみ分けしようが食口それぞれだが、信仰者であれば先ず他に対して謙虚であるべきだ。それは表面的にもそうだが、それ以上に内的に他に対して先ず謙虚であるべきだ。思うに食口は表面的には優しさ人の好さを装っているが、内面では神に選ばれた選民だという認識はあるだろう。本人が意識するしないに関わらず、この世と接する中でその選民認識は選ばれていない人達と分けて線引きしている。その分け隔てが「私達の声を聞いてください」という立場知らずの要求(押し付け?)になってしまう。私達とこの世の人達と何ら位相が変わることはない。この世が堕落世界だというのなら同じ堕落世界に住む同じステージにいる。だから理解を要求できる立場ではないし、言葉で理解を得られると思う驕りがだいたいおかしい。彼等とは霊的に違う?霊的理解もおぼつかないのに一体自分の何がその認識をもたらすのだろうか。選民意識による独善的な言動行動が良心を無視した霊的無知からきており、先ず私達が悔い改めるべき一歩だ。悔い改めは、献金額が足りないことでも救いのない言葉で伝道もどきの達成数に届かないことでもないし、更に教理やアダムエバを犯したことでも礼拝に参加しなかったことでもない。自分の霊的成長をもたらす良心を無視し、良心に従わないことを悔い改めないと食口は前進できない。
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