2026年9月29日火曜日

今日の想い 1496

 イエス様の時代に人間の自我が備わったのではなく、堕落故にずっと表出されずに閉ざされていた人間の自我が、時の条件が満たされてやっと自我存在としての人間段階を当時迎えていた。救世主キリストとしてのイエス様が誕生され、地上で公生涯の3年を歩まれて、愛としての自我を備える人間が存在として可能になったが、もしイエス様の地上の歩みがなかったなら、自我存在だとしても利己的自我を備えた人間しか地上に存在できず、愛の星地球とはならなかったはずだ。精神科学、哲学家として有名なシュタイナーは霊界での人間の段階を大きく分けて3段階、各段階それぞれが3段階になっているので9段階としている。ずば抜けた彼の霊的感性は数々の神霊とやりとりし、創造歴史の遥かな太古を見通し、神の摂理である遠い未来をも見通している。彼の著述を読み進めれば実に論理的に、さらにわかりやすく神の様相、創造過程、人間の様相、霊界の様相など、また科学の様々な分野を霊的な観点からも解読している。私は彼の代表的著述、神秘学概論から入ったが、原理を理解する食口であれば虜になることまちがいないだろう。原理に対して、特に霊界認識に対して実に稚拙なものに留まっていたかということがよくわかるはずだ。原理をより理解し、御父母様の価値をより理解する為に、彼の著述は最良だと思う。しかしその彼でさえ、精神科学とあるように科学という論理で見出したのであり、ということは心情圏に入ることで見出されたものではないので一面的とまでは言えないが全面的ではない。要するに愛の要素が欠けていて霊界も創造過程も冷たい印象を受けるのは否めない。現代人の科学信奉の間違いは、一方で内的平安、内的喜びを最も重要視しているにもかかわらず、現代の科学が及ばない内的領域に於いても科学が解決するはずだという妄想に執着していることだ。日本の進化論教育が人間が自我を備える霊的存在であることを隅に追いやって無視させてきた。宇宙があって私が存在しているのは外的な意味では現実だけれども、私があって宇宙が存在しているという内的な意味での現実もまた正しい。日本人の自我は自分が自我存在であることを認識できないほどに追い遣られている。上っ面で生きながらえるだけの浮き草であって、自我という霊的な柱が立っていない。自分に対しても他に対しても自我への尊厳が薄いものだから、魂の活動、特に喜怒哀楽が霊的な成長の糧になっていない。

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