母はあまり動けない状態なので、はばかりに立つ以外ほとんどの時間を低い椅子に浅く腰掛け、こたつテーブルに向って過ごす。私がスイッチを入れれば一緒にテレビも見るが、さして関心は示さず、私が席を外すと漢字パズルの本を開いて鉛筆で埋めている。四字熟語も難読漢字もお手の物で、私よりはるかに漢字の知識量は多い。亡き父は認知症ではないけれども昨日のことは忘れてしまっていたが、母は昨日のことも遠い昔のこともよく覚えている。それが母にとって喜ばしいことなのかどうかはわからない。厳しくも暗い、忘れ去られたような田舎で一生を過ごしてきて、口にする昔の話は当然厳しく暗い話ばかりだ。母が産まれて産みの母はそのまま息を引き取った。母に取って祖母が母であり、祖母が亡くなってのちは姉が母替わりだった。その私に取っての叔母は、私が教会に献身してからの母の嘆きを、自分の娘のように不憫に思って、アメリカにいる私に何としても帰ってくれないかと手紙をよこしたことがある。それはところどころ涙で滲んで字がぼやけている、便箋8枚にも及ぶ手紙だった。それはボロボロと涙なしでは読めない代物で、ああ叔母に取っては母は娘なんだと理解するには十分だったし、故郷に二度と帰ることはないと歩んでいた私を見事に揺さぶった。今こうして父を見送り、母の世話をしながら同じ屋根の下で生活しているのも、叔母の想いがあればこそだと思っている。叔母が亡くなる少し前に私に手紙をよこしたことは母に告げたが、その内容については触れなかった。母に取って叔母は母だったから、そこまで心配してくれていたことを告げると母が申し訳なくて深く悲しむと思ったからだ。透析しながら一人住まいしている妻の身の回りのこともあるので、時々母を一人にすることもあるが、遅くなって帰ると、私を一見してやっと安堵したかのように力を抜いて背を丸める。遅くとも8時半には床に就くが、先に寝るようにと連絡入れるまでは、いつまでも帰りを待って起きている。
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