この世の中にどっぷり浸かっているかどうかは、自分の思考形態を観察してみると良くわかる。世俗的環境に於いては、自分と比べるということに殆どの意識は使われる。比べるという意識は自己中心であればこそ出てくる意識だと思う。たいていの人は批判的思考が自分の思考形態の中心をなす。損得に敏感だとか悲観的だとか、優越感を覚えるとか減少感を覚えるとか、全ては比べると言う意識から発せられる。この世に於いては尊敬、畏敬、賛美、感謝の感情はなかなか育ちにくい。自分自身を新しい次元に昇華させようとするなら、こういった感情を自分で自分の中に生み出す努力を重ねなければならないだろう。一輪の花を見ながら、誰に見られるでもないその花が与えることだけに精一杯生ききろうとする姿を見て、はらはら涙が流れるほどの賛美や崇敬の対象となるものを環境や体験の中に捜し求める。環境や体験をただ受動的に捉えるだけではその発見は見出せない。想いを自分から能動的に働かせて接すると、世界は違う様相を帯びてくる。それは五感を超えた霊的感性の萌芽が目覚める時だ。五感を通して得る肉的要求の満足だけで生をおくる人は、人間本来の生とは程遠い。どちらかというと動物に近い。しかし先程述べた宗教的感情を育てるほどに神様に近くなっていく。生きる真の喜びを知るようになる。人間としての自己変革は、内なる思考生活のその深みの中で遂行される。自分を変えるとは思考を変える事である。
0 件のコメント:
コメントを投稿