2007年7月2日月曜日

歩みの本質

我々の歩みの本質は霊界にある。そう断言できる。このレストラン業を摂理として取り組んでいるのか、ビジネスとして取り組んでいるのかと問うなら明らかに摂理として取り組んでいる。摂理としてビジネスに取り組んでいるなどと、さも解かったような物言いをする兄弟もたくさんいる。がこれは言い訳の為の方便であって我々の歩みの本質ではないだろう。ビジネスとしての当然の行動も、摂理だからと言って抑えられる局面もあれば、逆にビジネスなんだからそれなりの結果を出せと責められる場合もある。要するに上の立場にある者も、これは摂理でありビジネスであるという、時として矛盾する内容を自分も分からずに思い込みで上意下達する。口の上での事ならそれで済むが、それを形にしようとすれば混乱を生じる。現場の者もそのまま受け取るなら店も崩壊するし自分も崩壊する。だから現場の者は混乱を最小に止める為のフィルターをその意識の中に用意している。自分と店を擁護する為の安全圏をその意識の中に用意している。それがいいとか悪いとかではなくそうならざるを得なかった。私は御父様が願われるレストラン業というのは摂理としてであり、要するにビジネスの形を装った摂理であって、摂理である以上全てにおいて金、金、金、金まみれの様相とは次元を異にすべきだと思う。勿論金自体も前から言うように万物の象徴、愛のひとつの形、愛のひとつの流れとしての要素も多大にあるというのはその通りだが、愛に絶対的価値を置いて、為に生きるという与える想いや意識があって、その上での愛のひとつの形としての金の授受であるべきだと思う。特に今回の要求もビジネス的に考えれば自殺行為に等しい。しかしこの出資(?)を損金として捉えあきらめるのではなく、教会を支えアメリカを支える為の愛の形として感謝して送る意識を何とかして創らない限り、後に繋げる希望は全く見えてこない。正直に言うと心の中は背水の陣だ。ここで踏ん張ろうと思ったら祈るしかない。祈って祈って神の言葉を聞くしかない。我々の歩みの本質は霊界にある。神の願いを知る為に霊界と100%繋がり、地上に基盤を築くための霊的アンテナとなって着々と摂理を進めていく。愛の粒子が我々を通して地上に流れ、愛の色にそこここが染まっていくのを霊視しながら摂理を進めていく。その域に達する為には祈るしかないと思う。霊的になるしかないと思う。そうして本来あるべきビジネスを超える本当の霊感商法がアメリカで花を咲かせる。

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