2007年7月3日火曜日

新次元の扉

摂理かビジネスかという話をしたが、摂理であるならそれはなにかということだ。摂理を進めるために金が必要だ、だからその金を生み出す為の金の鶏が必要である、兄弟ひとりひとりが金の鶏になりそしてより大きな金の鶏となる為に組織作りをする、しかし金を生み出すことが本当に摂理なのだろうか?摂理を進めるために金が必要であるのにその金を生み出す事自体が目標になっているような気がする。御父様の願いに応える為、摂理を進めるために、だから金が必要なのだというその想いがあるなら、御父様の願いの中に生き摂理に貢献していると言えるだろう。しかし金を作ること自体が目標となってしまって、たとえ結果的にはその金を捧げるとしてもそれは本当の意味で天の願いに生き摂理に生きたと言えるのだろうか。私はこの辺の本質的動機付けが全てを決め得るという気がしている。出しても出しても際限の無い献金活動、この根底にあるのは我々の意識が金を作ることに成り下がっているから、要するに潜在意識の中にとにかく金を作って出すと言う事を自分のなかに観念として刷り込んでいるから結果としてそうなっているとはいえないだろうか。金を出すことで完結できない摂理が本来我々の意識であるべきで、それがいつのまにか金だけ上に流していればという意識にすりかわってしまったためにその当然の結果として金を吐き出すことだけにアップアップしている。与えること、為に生きることが摂理の本質で、レストラン業を媒介として摂理するとはレストランを通して為に生きる、真の愛の及ぶ範囲を広めていく、天の愛の影響圏を広めていくと言うことになると思う。自分自身の転換点、と同時に私が預かっている店の転換点は明らかにその意識に目覚めたときだと思う。簡単にいうと金の意識から愛の意識に次元が上がった時全ての歯車が噛み合い始めるのだと思う。しかし完全にそのステージに上がり切った訳ではないのでまだそれなりにSTRUGGLEすることもあるが、しかし明らかに自分も店も従業員も金回りも前とは違ってきている。しかし天の本当の霊感商法はこんなものではないだろう。TPの勝利的内容は爆発的な運勢圏を天宙にもたらしているはずだ。そこに我々が直結するなら想像だにしない結実を目の当たりにする時が直ぐそこに来ているのかも知れない。その糸口が、霊界に通ずる糸口が、新しい次元に移行する糸口が目の前にある。同じ事情圏環境圏でありながら、全ての対象物が今までとは全く違ったものに見える発見が加わってくる。

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