2007年7月24日火曜日

ホームランド (1)

広島は選ばれた蕩減の地だ。八月六日のその日がまた近づく。入教したての頃の教会は誰もが知っている原爆ドームの直ぐ近くにあった。というより教会として借りていた建物が爆心地である。その建物の頭上580m上空で原爆は炸裂した。借りていた建物は二階建ての簡素な木造建築であったが広島が廃墟になる前の建物は立派なつくりの病院だったようだ。入教当時その教会では様々な霊的現象が起こっていた。なかにはエクソシストさながらの事件もある。いつの季節だったかよく覚えていないが夜中に大騒ぎになったことがある。二階に女性が休み一階の礼拝室で男性は休んでいたが夜中二時を回った頃だと思う。大きなゆれで目を覚ました。誰もが地震だと思えるほど大きなゆれが続く。しかしどうも様子がおかしい。玄関の辺りがやけに騒々しく、表から鍵のかかった開き戸をどんどん叩きながら太い男性の声で何やら訳の分からないことを叫んでいる。二三の兄弟が飛んでいって事は収まったようなのでまた眠りに付いたわけだが、明け方事の様子を知らされてびっくりした。ひとりの姉妹が霊的になり危険なのと周りの住人への配慮で、車で十五分くらいのところにある当時事務所で使っていた場所に移し興奮が収まるのを待つことにした。しかし送ってものの十分も経たぬうちにその姉妹は靴も履かずに抜け出し、まさしくとんで帰って教会を揺さぶる。いつもは目立たない小柄な女性が太い男性の声で大きな建物を壊れんばかりに揺するさまはホーラー映画さながらの事件で来教者への霊界の存在の証しとしてしばらくトークねたにされていた。自分こそメシヤだと叫ぶ者も現れたり人里離れた廃校で修練会をやれば参加もしていない女の子が写真に写ったりと、今思うと少々低級な内容ではあるが霊界を認める為の入門版のような事柄に事欠かなかった。それはそれとして広島に原爆が落とされた事実をどう捉えるか、ということが想像を絶する痛みを受けた多くの魂への責務として自分にあるはずだ。三十五万の町の半数以上が数日のうちに生命を奪われた。資料館に行けばその悲惨さの幾らかでも感じ取ることが出来ると思うが、それはまさしく言葉を失う。

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