2007年7月9日月曜日

瞑想(1)

自分の内容があるかないかはこの際殆ど意味は無い。最初から内容などない。自分の心の闇から幽かに浮かび上がってくる魂の声を掬いだし、闇に埋もれる前に書き留める。自分の様々なる移ろい行く思考の断片を払いのけ、本質を見出してゆく。今日と言うこの時の中に余りある本質が影を潜めている。ただ単に見過ごし聞き過ごしやり過ごすだけでは何の宝も拾えない。探り当てる。戦いを挑む。安楽に感じているその中に見出せるものは安楽だけ。その安楽を崩す所から始まる。居心地のいいその心の置き場を崩す。崩した中から本質の一部が晒されてくる。本質を捉えず自分の生の永らえる意味は無い。本質はつかみ所の無い抽象的なものとは違う。本質は五感を超える手応えのある実体そのもの。与えられた事情圏環境圏そのものが事の本質ではない。それを道具として本質を見出す。えも言えぬ歓び、想像を絶する一体感、至上の安らぎ、こういった実感を五感で感じることは出来ない。

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