2014年8月2日土曜日

今日の想い 770

御父様の道は復帰の道を尋ね求められた道であり、私達の道は御父様が既に明らかにされた原理に従って歩んでいく道だ。しかし原理の道(復帰原理の道)に従うという意志がなければ従えないのが人間であり、アダムとエバが堕落したのは結局は神様の心情を無視して堕落したのであって、そうなると原理の道に従うと意志させるものは神様の心情を尋ねるところにあるはずだ。私達は原理の道を明確に差し出されながら、必死でその道を歩ませまいとする強力な力が私の血の中に流れている。何千年、何万年に亘って滔々と流れてきた堕落の血統をそう簡単に絶やせるものではない。根腐れするのにも期間がかかり、その間痛みや苦痛に耐えしのぶ覚悟が必要になってくる。それは私の代で終えられるものかも知れないし、何代にも及ぶものかも知れない。今の私の、この年になりながらも祝福家庭として願われている状況にないことを見れば、何代にも続く覚悟を迫られているのだろう。妻の病の問題も、子供達がみ言葉に繋がらない問題も、そのことによって受ける痛みや心痛を抱え続けなければならないという覚悟と、しかしその一方で、その痛みや心痛ゆえに神様の心情を尋ねざるを得ないという内なる力が働いているのも事実だ。祝福家庭として様々な問題を抱えながら、一方で堕落の血統の実としての苦い味を味わい、一方で祝福の血統を根付かせる為に御父母様の心情を尋ねていく。現状の悲惨さを嘆いても、やり切れぬ思いを誰に讒訴できるわけでもなく、自分で抱えきれなくなってしまえば爆発せざるを得ない。地上地獄というけれども、爆発してしまえば地獄の様相を私に体現し家庭に体現してしまう。心と体の相克を、夫婦の相克、天地の相克、神様とサタンの相克を、私の中に抱えていつ爆発するとも知れない状況にある。この戦いを終わらせなければ私の安息圏は訪れない。安息圏は一方におもねることではなく、アベルカインの原則に従ってより神側の存在を主体にしながら対象をひとつにしなければ訪れるものではない。原理の道がこうも難しいものだと、今更ながら思い知らされるけれども、その難しい原理の道を探し出された御父様の復帰の道は想像を絶するものだったはずだ。私の拙い頭は必死で原理を理解しようとフル回転しているけれども、御父様が復帰の道をたずねられた結果として探し出された原理の道を、無知な私が敢えて検証する必要は毛頭ないのであって、私は御父様の御心情を尋ねながら原理の道を歩めばいい。

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