2014年11月7日金曜日

今日の想い 806

世の中は金か?そう、世の中は確かに金で動いている。金で動いているから社会は経済という血流で運営され統制されている。それぞれは金を動かすことで社会生活の基盤となしている。そして金の量と質を決めているのは国家主権者であり、覇権団体だ。国家主権者も覇権団体も人で構成されているけれども、動かしているのは人を介してはいるが目に見えない霊的団体だ。無意識にも霊的団体の指示を背後から受けて踊らされている。人や組織は持っている金の量によってそれ相応の権限を行使しているが、金の量を決めるのは覇権団体の要請に応じる国家主権者だ。主権者は覇権団体の要請を断れない以上、実質的には覇権団体がその主権を握っていることになる。アメリカで社会生活をしていればドルに依るわけだが、FRBや主要銀行が政府へ要請し、政府は国債発行してFRBがそれを買い取る形でドルを流す。そこから流れ出るドルを運用する銀行を介してドルの供給が行われ、経済に影響することによって結果的にドルの価値が決められる。結果的に価値は決められるのであって新たに流すドルと既に流して回っているドルとは同じ価値とはならない。すなわちドルの量を倍に増やしても価値が倍増して国力も倍増する訳ではない。真の愛は流されれば流されるほどさらに供給されるが、金の価値は流せば流すほど価値は薄まっていく。やがてはハイパーインフレとなりお金は紙屑同然にまで価値は落とされる。真の愛の本質と、価値が定まらないお金の本質を私達はどう繋げて行ったらいいのか。心身一体圏を標榜する統一食口であるなら天で通ずる愛と地で流通する金、この分断された天と地の血液と血流の橋渡しの役目を担って当然だ。日本は千兆円を越える国債が発行済みで、アメリカは四兆ドルを越える国債が発行済みだ。個人や団体なら莫大な借金を抱えて自己破産し倒産して当然の状態だ。しかし国家経済の場合返済を要求されないしいくらでも国債発行できる。昔はこんなことはできなかったが、それを可能にしているのは、或いはそうせざるを得ないのは国際金融の土俵に国家経済が引き出されて立っているからだ。金融は経済に影響を与え、経済は国家に影響を与える。よって国家の首長と言えども先ず自国経済に振り回され、自国経済は国際金融に振り回されて、国家理想を立てようとする首長権限にも陰りがある。この金融の首根っこをどうやって掴むか。この金融の怪物を手懐けた者が世界を制するはずだ。霊的団体によって国家経済が手玉に取られていることを最初に述べたが、その霊的団体は金融の怪物の元にあって訝(いぶか)りながらも歩調を合わせている。その訝りながらの行動が莫大な国債発行となっている。

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