2014年11月13日木曜日

今日の想い 810

あの噂の統一教会と言われても今の今は否定のしようがない。この世の倫理道徳的観念からすれば煙たがられて当然だ。だからと言って信仰を捨てたところで私を中心とするみ旨が進む訳ではないし、社会感情を納得させて摂理が進む訳でもない。抜け出た者に対してはこの世はウエルカムなのだろうけれども、それは教会と社会の溝をより深めることになる。この世の私達に対する認識は、結果的にそうならざるを得なかったと言わざるを得ず、しかしそれはそれで私達の責任を問われても仕方がない。確かに表面的現実的には風当たりが強いのは変わり様がなさそうだが、近寄りたくもない私達の存在の中にこそ実はあらゆる問題を解く鍵があるのであって、近い将来人類は内外共に行き詰まり、切羽詰まったその時には評判など気にしておられず、私達を訪ねて鍵を受け取らざるを得なくなるだろう。そんな状況になるとは食口ですら思ってもいないが、必ずそうなるのは既に確定済みだ。地上の振動数が上がっていき人間の内面が触発されることで誰もが霊的感性がある程度開くようになる。そうなると自分の霊界の実状を受け取らざるを得ないし、その悲惨な実状に救いを求めざるを得ない。自分の霊的位置が見えたぐらいでは動かないかも知れないが、霊的乾きと霊的病は肉体の病の比ではなく、放っておくわけにはいかなくなる。その時の状況は朧げに見ながらもひしひしと感じていて、時を経る毎にしびれが来るようなピリピリ感が強くなっていく。霊的船団が地球に到来して地上を覆うのも時間の問題だ。時間の流れは更に急流域に入ってそのまま暗黒時間に突入するはずだし、それと共に霊的船団が空を覆うのを多くの者達が見るだろう。本来基元節がこのD-DAYだったわけだが、条件満たずで延長されてしまった。もし基元節のあの時点で強硬的に発動されれば、それなりに摂理に貢献してきた食口ですら少なからず引っ掛かってしまっただろう。よって延長路程に入らざるを得ず、御父様の基元節前の御聖和は言うなればD-DAYは2013年1月13日と数年前から決定され公言されてしまったことと関係があると思っている。御聖和と引き換えに、或いは霊界に行かれて霊界に足場を置かれることで、D-DAY延長の神霊的役事をされた。延長はされたけれども、やがてその時が来ることは確定済みで、その時に備える内外の条件を揃える為に寝るのも惜しいというくらい切実であるべきだ。未だに内部の混迷に翻弄されている者もいるし、天の願いと方向を違えて教会分裂に拍車をかける者もいるけれども、D-DAYのその日その時をどう迎えるつもりだろうか。人類の霊的感性が開き霊的に彷徨っていることを自覚した者達に対して、導いて行ける内容が私達に備わっているだろうか。

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