2014年11月28日金曜日

今日の想い 817

霊界に行くにはこの体を脱がなければ霊界の住人にはなれない。地上で体を持った存在だということは、私という輪郭を持った存在だと言うことができる。しかし私のこの肉的体の輪郭がそのまま心魂の住まう輪郭かというとそうではなく、人によってその輪郭は異なっている。もちろん心魂の輪郭は肉的体ほど固定化していないので肉体の輪郭に束縛されることなく、より自由圏、解放圏となっている。家庭が体となり国が体となっている者もいるし、なかには肉体の輪郭ほどの範囲もない心魂に凝縮されたままで地上生を営んでいる者もいる。一方で肉体があり、別の一方で霊人体がある。自己中心的に生きるということは肉体輪郭に心魂の輪郭を合わせ、国のことも世界のことも、はたまた家庭でさえも自分の事として一向にその喜びも痛みも覚えはしない。快不快は肉体と同じ輪郭内に留め置いて、社会のこと、世界のことに関してはどうだっていいと思っている。霊界に行けば事情は全く反転する。輪郭の内側にいた自分と思っていたものが輪郭の外側になり、外側にあった世界が霊人体内の自分として存在するようになる。自分のものだと羽交い締めしていたものは遠くに奪い去られ、為に生き犠牲を払い外界に投入したものは自分の中に取り込むようになる。霊界の入り口に於けるこの逆転現象は、ちょうど袋を裏返すように、私が外の世界に注ぎ出てしまう感覚を味わう。自尊心の人一倍強い者、執着心の強い者は霊界への誕生という霊的お産が難産になり霊界生活への影響が懸念される。自尊心も神を宿す自分としての本然的な自尊心か、あるいは堕落的なものかによって異なるが、よりアベル的中心的存在から否定され怒られることを清々しく思うのであれば本然に近いと言えるが、否定されることを良しとしない私の自尊心は堕落的なものだ。霊的お産のこの逆転現象はどの基準の公的な心魂を備えたかによって流れだす自分の量は異なる。既に国家的輪郭、世界的輪郭の心魂を備えた者は既に地上で為に生き、犠牲的に生きているので、すなわち公的位置に十分自分を流し出しているので安産となる。世界を包み天宙を包み、神様をも包み込む心魂の大きさを持たれる御父様の御聖和は、全く新しい天宙を創りだされるという意味を持つ。大人物を巨星という言い方をするように、事実死んで霊界へ誕生することで一つの恒星が宇宙表象として現出するけれども、御父様の御聖和は一つの恒星というような小さな存在ではなく、新しい天宙として現出する。

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