2014年11月9日日曜日

今日の想い 808

御父様が完成、完結、完了の言葉を地上生の最後に口にされたことと、十字架への道を前にしてイエス様がゲッセマネの祈りで神様に訴えられ、しかし最後は御意のままにという言葉をして手放されたこととを比べてみれば、御父様は本当に勝利されたのだという感慨が内から沸々と溢れてくる。実体の天一国をまだ見てもいないのに、どうしてその言葉を口にできるのだろうかと思うのであれば、私は現実に囚われ現在を足場にして未来を見ようとしているだけだ。現在の私がおぼろげに見通す未来は不確定要素に満ち満ちていて、よって現実だけを私は把握し現実だけに生きている。しかし御父様の見通す未来は不確定要素はなく確定している。完成完結完了の実体的表象を確実に見ておられる。それは希望的観測で見ておられるのではなく、既に決定付けられたものとしてある。もし私が御父様との一体圏に入れるなら、私も完成完結完了の確定的未来を共有し、そうなると一体圏に入った私が、過去である現在の私を勝利の確定的未来へと導くようになる。完成完結完了の言葉は、御父様の使命は果たしたから後は私達の責任だという言葉でもなく、ましてやできてもいないものをできたという御父様の独りよがりの言葉でもなく、完成完結完了の確定的未来を勝ち取られた言葉だ。よってそれぞれの確定的未来への道のりは異なるとしても、確定的未来は既に完成完結完了している。しかし人間としての自由と責任がある以上、その道のりが直近的なものかどうかはそれぞれに任されている。御父様御聖和前後の混沌ぶりは誰の目にも明らかだった。御父様の御側で、御父様一体圏で歩まれたはずの諸先輩が、その道のりを大きく外していった。聖書に記された如くまさに上の者が下に、下の者が上にという状況であり、天国は激しく襲う者によって奪われている。そんな状況であっても、否そんな状況であるからこそ私の位相をワープできる。御父様との幾星霜の距離から御父様が抱いて下さる圏内に瞬間移動できる。御父様一体圏の中心的核に近付けば近付くほど、み旨を遮るかのように見える否定的現実に晒されるとしても、それに翻弄されるのではなく否定的だと思われた現実から確定的未来の頂上に向かう次なる門を開く鍵を見出していく。もちろん表面的には苦しくもあり塞ぎ込むようでもあるけれども、私の内面の中心では隠された鍵を探す面白みを子供のような無邪気さで味わっている。

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