2018年7月16日月曜日

今日の想い 982

地上で愛が満ちれば霊界も満ち足りるのであり、御父様は真の愛に酔うという言い方をされたように、愛の濃さに人は酔う。私達の中にこの世で使う愛という概念を超える愛が存在するだろうか。そんな真の愛に生き、真の愛というエキスを霊界にもたらしているだろうか。四大心情圏の愛はイエス様が開かれもたらした犠牲の愛を超えている。イエス様が表されたように、犠牲の場でこそ愛がその姿を現すように、私達は親を否定する立場で親を真の愛で愛する子女の愛を立ててきたし、御父母様にしてみれば我が子を否定しながら親の愛を立ててこられた。一般の観念からすれば親を捨てた、子を捨てたと否定されるのを当然としながら、そのような立場で真の愛を開きもたらすという、地上の愛の論理では理解できない、逆説で立てる真の愛の道がある。御母様の歩みはアボジを否定し子女をも否定する孤独の路程を切り開きながら進んでおられる。その悲痛な叫びを食口のうちの誰が受け取ることができるだろうか。歯の浮くような賛美の言葉をかけたり、覚悟もない決意を声高に叫んだり、それはそれで幼子の愛し方かも知れないが、御母様を本当の意味で愛し孝情を立てる食口である為には、真の愛の道がどういうものかという最低限その理解に立つ必要がある。皆がそれぞれの理解で御母様を判断しているのだろうし、私ももちろん御母様に対するイメージがある。そしてそれは決して気持ちの安らぐようなものではない。しかし今の私の判断基準が決して正しいものではないことも良心に問えばわかってくる。今は私の論理に任せるでもなく感情に任せるでもない、僅かに輝きだした意志こそが足元を照らす。

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