2018年7月3日火曜日

今日の想い 978

男尊女卑という言葉は明らかに差別的な男女関係の言葉だ。しかし男性が主体で女性が対象という表現は差別的な言い方とは異なっている、と私は思うのだが、原理は男性主体目線で書かれているのでバランスを欠くというのは十分に差別認識を主体対象関係にみているということだろうか。バランスを取った改訂原理というものが一体どんな様相を呈しているのか、私ならずとも食口皆が大いに関心を持つところだろう。しかし原理までも改訂されるとなるとさすがに、今まで揺らがなかった信仰を検証し直してみようかと思う食口も出てくるはずで、サンクチュアリは攻めどころがここ本丸に至って益々意気揚々となるはずだ。御母様を中心とする後天時代の船出はここに至って益々創造の初めの混沌化様相をみるようで、それを俯瞰でみれる位置には誰も立てなく、皆が皆一人残らず混沌の中に翻弄される。ようするに固く立っていた先天時代の信仰の基台そのものが足元から崩れ落ちていく。これまでのように信仰の補強や調整で何とかなるものでは全くなくなる。アメリカの食口の中でも特別御母様に関心を持たれた兄弟がいるが、いつもとは参加者も至って少ないJULY4TH前の昨日の聖日礼拝の場で、天宙がひっくり返るほどのこの話をスライドを追いながらゆっくりと進めていた。そして礼拝が終わればいつものようにあちこちで兄弟達の歓談も見られて、何のことはないという雰囲気だったが皆の胸の内は本当はどうなんだろう。私はというと、やはりここまで来たか、さもありなんという思いだったが、実際のところ改訂原理を受け取らなければ何とも言えない。御父母様の祝福を通して、私達一人一人の中に天に繋がる心情を相続されたのであり、それは霊として良心の輝きとなって生き続けているが、その良心が素直に言われるがままを受け取れと言うのかどうか、今の今は何とも言えない。

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