2018年7月21日土曜日

今日の想い 985(万物主管)

三大祝福のひとつである万物主管は、私達の簡単な理解としてこの世を治めることと捉えている。しかし治めるとはどういうことだろう。真の父母を中心とした教会社会の在り様の世界的拡大版を意味しているのだろうか。そのあたりが随分曖昧で、3年で地上天国はできると信じていた当時のイメージから、今も同じで変わった様子は見受けられない。かつて御父様は韓国の政治を治めようとされ何人かを立てて選挙に打って出られたことがあった。惨敗だった。政治に進出しない限り国を動かすことはできない。もちろん議員の中には賛同的な人もいることは知っているが、それがピンキリのどの辺りなのか。どちらにしろ賛同的議員にお伺いを立てながらでしか政治に関与できないとすれば、政治を治めることなどできない。それぞれの国益という国家的価値観を把握した者が政治を治めるべきであって、それも追求せずに下心だけで当選するなど国を司る霊的柱が許さないだろう。御父様の想いがどうだったのかは別として、選挙に立った者達の中で国家的価値観を把握していた者はいなかったはずだ。要するに彼等は国を愛することに於いて負けたことを結果として見ている。ビジネスで成功する者達の多くは商品に対する価値観、従業員に対する価値観、そして金銭に対する価値観をその途上で学び把握している。そしてその価値観は論理を超えて想いだ。私達は万物主管と口にはするけれども、金銭に対してどの程度の価値観を把握しているかは大きな疑問だ。一ドル稼ぐためにどれほどの精誠が必要か。流通しているお金の内的面の願いや祈りや恨み。お金に刻まれた皺や汚れの意味。汗と涙で受け取り払われれば汗と涙の想いは当然付着している。お金はより価値が分かって愛する者に必然として回ってくる。お金を我が子のように愛おしく思ったことがあるだろうか。1ドル札の皺を伸ばしながら想いが伝わり涙したことがあるだろうか。多くの食口は未だに万物の象徴でもあるお金の価値がわかっていない。信仰を持ちながら物をモノとして扱う唯物主義者だ。お金を愛せない者は万物主管がどうのこうのと言う資格などない。それと同じように親兄弟や氏族を愛せない者が氏族復帰を言う資格はない。さらに言えば、自分を愛せない者が個性完成するはずがない。

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