2018年7月31日火曜日

今日の想い 987

サンクチュアリのヨナ二ムの話を聞いたことがある者はわかるだろうが、実に話に筋が通っている。信仰的でもあるし勿論謙虚でもあられる。耳にも絵的にも癒されるし、正直なところ私の魂は心地よさを覚えてしまう。単純な感情に従えば、この御方こそ聖霊が共にあるのではとさえ思えてくる。そうして当然のように御母様と比較する私がいる。彼女の優しさが伝われば伝わるほどに、御母様の優しさはどこに行ったのだろうか、どうして封印されたのだろうか、との想いが胸に降り積もる。あれだけ子女として御母様を愛する決意を差し出したにもかかわらず、未だに愛されたい、優しくされたいという想いが時として堰を切る。以前記したように、鬼になられようが蛇だろうが御母様は私の御母様だという認識には何の変りもないが、ひたすら愛を見出そうとするこの想いに応えられる御母様はもうこれから諦めなければならないのかと思うと、寂しくもあって言葉がなくなる。食口がこの心情を通過することを知っておられるのであり、それでも敢えてそのような態度で接しておられ、後に氷が解けるように腑に落ちるときが必ずくるはずだと信じて今日も息を繋いでいる。この減少感を超えて御父母様を愛する私になるべきだ。一片丹心の心情は今の私がもっとも復帰しなければならない心情だ。地上に平和をもたらすために私が来たと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである、とある聖句が私の中で鳴り響いている。

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