2018年7月16日月曜日
今日の想い 981
朝目覚めると先ず深く一呼吸する。一呼吸しながら自我意識が死の淵から立ち上がってくる。ある時は強烈な個我意識となって、歯が欠けるほどに食いしばりながら目覚める。またある時は流れいるような意識で満ち溢れ、生命の活力のうちに目覚める。そしてまたある時は誰かや何かを思ったり患ったりする感情に弄ばれる意識で目覚めて、自分の肉体に暫く入れないこともある。意識できる地上界への目覚めの状態は、霊肉の境界線である渕の向こう側で何を与え何を得たかで決まってくる。肉体を戴き地上で生きることを許されているという事実は、淵を超えた向こう側に何を与えもたらすことができるのかを問われている。もちろん地上の物質を持ち運ぶことはできないし、そんなものを望まれてもいない。今日一日を五感で生きながら、内的に受け取ったものがあり与えたものがある。受け取ったものをそのまま持ち込んでも受け取ってもらえず、そのエキスである愛の本質(真の愛)こそ天使たちは待ち受けている。霊界の働き人である天使たちは真の愛で柱を立て梁を渡して家を築き、より高次の霊界への扉を築いている。天国の柱に触れれば柱の声がする。一つの精誠を地上で立てた犠牲の証を訴える。そのように霊界の全ては精誠で築かれている。日本人からすれば韓国人は道理も無視しハチャメチャに思えるかも知れないが、彼らの道徳性ではなく宗教性を日本人は学ぶべきだろう。異常な程に怒り、恨み、地を叩き体を叩きながら涙する、あの感情の中にこそ心情が息衝いている。よって平穏を装う日本人と比べれば遥かに、死の淵の深みを超えて霊界にもたらすものは多くなる。
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