2018年7月17日火曜日

今日の想い 983

サンクチュアリに信心を預けた者達の試練は、御父様に御母様とは異なる別のオモニを挿げ替えたことだろう。彼等にとって挿げ替えは捧げ筒どころの騒ぎではない。御母様は本来歩まれるべき真の母としての歩みを逸脱している、ということには頷けるけれども、それを正そうとするのではなく別の御方を真の母の位置に挿げ替えるのはどうなんだろうという疑問だ。彼等は二代王への信仰をかけて正しい判断だと自分を納得させたのだろうけれども、そこには祝福の問題も確実に絡んでくる。御父様に決めていただいたのであり御母様は絵的に側におられただけだ、と思っていたのなら差ほど違和感は覚えないのかもしれないが、そんな単純な話ではない。御父様の側におられただけではなく御母様と共に内的霊的な基台を立ててこられたことを否定している。祝福を受けた者達は皇族圏に入るけれども、何に対しての皇族圏かというと王族に対する皇族であることは間違いなく、王族が立たなければ皇族も立たない。その意味ではサンクチュアリは、真の父母が父と母の一体圏であることからすれば、初代王としては真の父母の体を為しておらない失敗王であることを認めたことになる。よって彼等にしてみれば二代王ではなく初代王であり、相対である婦人こそが御母様であって、オモニの挿げ替えは体の良い御母様人形に過ぎない。御母様の否定は真の父母の否定であり、そこに祝福は成立しないし皇族圏にも入らない。彼らが受けた再祝福がどれほどの霊的混乱をもたらすか、霊的無知ここに至れりでその被害は彼等の枠を超えている。御父様が晩年私達に切実に指摘されたことがあって、それはあなた達は霊と魂を混同しているというものだ。思考も感情も意志も魂の領域であって霊界にそのままそれらを保持して持っては行けない。御父母様の勝利圏は魂の領域を超えたものであって、その基台の上での祝福を否定することの愚かさに彼等は気付いていない。しかし教会も教会で、同じように霊と魂を混同しているものだから、魂の思考による論理の場で相手もかかってくるし同じように論理で説得しようとしている。さらに感情の衝突もあって見るに堪えない。家庭連合になって看板にも掲げていた神霊は置き去りにされたのだろうか。

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