2018年7月18日水曜日

今日の想い 984

人間は霊化された植物だともいえる。四肢や細胞の隅々まで枝を広げる神経系の幹の力は、手足の指の先々から肌を突き破って更に大気や物事へと触手を伸ばしている。神経系の幹は脊髄で脳細胞へと人間の根を張り巡らせ、頭頂を突き破って天の彼方へと霊的養分摂取、すなわち生霊要素の為の根を深く伸ばしている。植物全般は地球という肉体に生命活動を与える生命体そのものであり、色とりどりの美しい花弁で光を誘い、大気に広げた生殖器で生命要素を受け取っている。人間の在り様を見れば植物とは逆であり、根を上に生殖器を下に配置され、ガイアの霊の部分である精神活動を担っていて、霊的光を発する発光体となり地球の霊化に勤しんでいる。人類が堕落してからの相当の間、霊的感性は封じ込められていて、本来の人間の在り様から万物以下の状態まで落ちてしまったが、霊的核である神様の精子を初めて受け取り、地球はガイアとしてその霊的生命を吹き返した。私は以前、球の周り一面を蠢く無数の小さな虫とも蛇とも言えないものが覆い尽くされ、それらが青色に輝いているガイアの姿の縮小を見せられたことがある。よって地球を霊的にみれば先天時代は死亡圏であり後天時代はガイアとしての生命圏だ。息を吹き返したガイアとなって、ともに生きる私達はガイアが更なる高次元存在となるべく働くことになる。御母様を受け入れた者であっても、なかなかしっくりこないのは目指しておられるところが見えない、イメージできないということなのだろうが、いまだに霊的無知から目覚められないからそうで、真の父母は生きた天の父母様として働いておられ、真の父母から分かれ出た私達祝福家庭それぞれは真の父母の中に生き、私の中に祝福家庭の中に真の父母が働いておられるという認識が先ずない。私という自我意識の外界には地上界を生きて主管する天の父母様の一細胞としての私を見出し、内界には霊界を生きて主管される天の父母様の一良心としての私を見出す。地上では曖昧模糊としているその理解を霊界の住人になれば明白に知るようになる。外的にも内的にも私は神様の一部分だ。私であって神様であり、神様であって私だ。生きて真の愛を求めれば霊的四肢を益々地上に、また人間社会に広げざるを得ないし、霊的根を益々天の心情の深みへと伸ばして繋げなければならない。そうしてそこに御父様と御母様、真の父母に霊的に会える。私の自我を中心として、一方で真の父母に会える私と一方で霊的覚醒と進化を見る私が出会える。

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