2008年6月4日水曜日
目を覚ますこと
自分と同年代で70年代80年代前半に復帰され、献身を決意して今に至る食口達は、ある意味燃え尽き症候群と言える。それも相当重症でもはや灰カス状態にある。日本では万物復帰に明け暮れてきた。愛に動かされてと言うより、使命に燃えて歩んできた。信仰というよりは運動に殉じてきた。我々が受けてきた訓練は技術を学ぶとか頭を使うだとか人心を掴むための内面を成長させるだとか、そういうビジネス感性に必要な訓練とは違った。この世で自分として生きる為の事柄とは無縁の世界で歩んできた。いろんな思いを廻らす、疑問を持つ、思考する、それは人間性に関することであるけれどそれさえも否定すべきものとして植えつけられ、人間以下の立場で歩んできた。余程の単純細胞の持ち主か余程の信仰者しか残らない。そういう時期が必要であった事はその通りだが、次の段階の教育なり訓練が蔑ろにされていたことは認めるべきだと思う。その辺の道路に立って金をせびるホームレスと、内外の実力という面に於いては何ら変わりは無い。ビジネスに関わりながら金の意味すら解らずに携わる。自分で稼いで来たという感覚すらないのに、それを宛がえる方が間違っている。自分で築いてきた感覚が一つとしてあるだろうか。職場を与えられ食事を与えられ、住まいを与えられ小遣いを与えられ、そして妻も与えられて家庭らしきものも与えられる。一つ間違えると人生の飼い殺し状態にある。そんな状態でお父様を連呼して喜ばれるだろうか。そんな者が集まる群れを神様は願ったのだろうか。表面的には父母様と共に苦労してきた格好だけは付けたが、自分を貶める事に慣れそこに隠れ続けて来ただけの事ではないのか。新しい時代圏で兄弟は羽ばたくべきである。押さえつけてきた自我を認識し新しい意識に目覚め、それぞれが神様に問うて自分の本来の願いを受け止め大きく羽ばたくべきである。
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