今の世は情報過多で、莫大な量の知識が行き交い、パソコン画面を通していくらでも入手できる。知識をどれほど手に入れ自分の頭に詰め込もうとも、それだけでは何の役にも立たない。知識の量が問題なのではなく知識を活用できるエンジンが問題となる。知識を一方的に受け続ける状態から、それらから知恵を働かせ新しい事柄を創造する、即ち受動的状態から能動的状態に踏み込むことで、人間として活き活きとした歩みを為せる。与えること、為に生きること、働きかけること、そうした事柄と創造することとは同意である。常に自分を起点として与えることに飢えている者は与える新しい事柄を発見する。与える新しい事柄を創造する。与えれれば与えるほどに、与えた以上のものが自分の中に流れ込んでくる。宇宙の法則はそうなっている。大なり小なり過去のどんな発見もどんな創造も、本人が能動的モードに自分を差し出す時、ある意味寝食を忘れ働きかけることに酔う時、自分を忘れる即ち自分を犠牲にする時に偉大な発見、創造は為されてきた。無機質な知識をどれほどむさぼっても知識という形骸を取り入れているに過ぎない。知識や情報の実を取り込もうとするなら、闇雲に拾い続けるのではなくそれが自分に或いは隣の人に社会に世界にどう働きかけ、どういう意味があるのかどう使えるのか、そういった見えないものを見ようとするときその知識は生きて自分に語りかけ働きかける。生きた知識の色合いが見え感情が含まれるようになると創造の世界が開けてくる。
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