2008年6月18日水曜日
因縁
我々の在り方を一言で言うと、自己否定だった。対社会的な教育なり訓練を受けたことは無いしそういった向上心やら全てを、否定して否定してある期間を通過した。その結果、自分も含めて多くの場合、実力に欠ける存在、この世では勤まらない弱者であり負け組みだった。どんなに否定しても我々の中に卑屈な想いが無いかというと、心の奥にそういった自分に対する蔑みがあった。罪に対する意識と自分は駄目な存在だという卑屈な想いとは違うものだ。キリスト教の基盤が薄い日本は人間性を無視するような態度を相手に対して取る場合があり、特に上下関係に於いてそれが見られる。我々の組織に於いても軍隊生活かと思うような虫けらのような扱いや言動が当然のようにまかり通る。それは少し違うでしょうという思いがあったがそこを通過することでしか祝福にありつけなかった。そこを通過することで得るものも勿論あるが犠牲にするものも決して少なくは無い。内外の実力をつけるという面に於いても犠牲が伴うが、それ以上に、関わる兄弟の信仰生命を断ち切りかねない。受けた痛みに対して恨みを残す。悲しいかな離れざるを得なかったり、辛うじて踏みとどまっても深層に押し込められた恨みが将来的に自分に影を落としたり家庭で破裂したりする。多かれ少なかれトラウマとして尾を引く場合が結構見られる。早くに渡米して歩んでいる兄弟と日本で厳しい路程を通過した兄弟とは在り様が違う。個人差もあるが日本の組織活動華々し頃の傷跡を多くの兄弟に見て取れる。敢えて言うなら自閉症的様相を帯びる。恐らく自己否定とアベルカインの意味の取り違えから起こる中心者の兄弟に対する対応が問題だったと思うが、敢えてそういう環境にならざるを得なかった摂理の要求があってのことであり、当時の責任者を悪者と断罪することはできない。責任者自身もまたそういう環境の中で鬼にならざるを得なかった犠牲を自分に強いている。様々な恨み辛みを御焚き上げして内面の大掃除は果たされたのであり、後天開闢の夜明けと共にクリーンアップされた内面に合わせて生活面、仕事面、全ての活動面に対する整理整頓が必要である。外的事柄全てに過去の因縁が染み付いている。本来ならもっと早くに為されて然るべきものを、携わる者が完全に目覚めておらないため、過去にしがみ付く亡霊が徘徊する。
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