2008年6月9日月曜日

侍ることについて

自分は生かされており護られ導かれている。多くの感謝すべき内容に溢れている。しかし我々が本当に感謝すべきことは御父母様に侍ることが出来るというその一点に尽きる。逆にその想いが無いのならばこの道に籍を置く意味は無い。普通のクリスチャンで十分為し得る。個人的な問題や課題を解決することが重要なのではない。家庭的問題をなくせば済む、或いは二世がそれなりの信仰を維持し祝福を受けてくれればそれで事足りる、そういう問題ではない。勿論そういったことに対して厳しく願われるのも事実であるけれど、その想いに執着することと御父母様に侍ることとは違う。少なくとも自分の中では明らかに異質のものだ。自分の中に御父母様に対する想いがあるか、侍るという一心の想いというか意思があるか。この身を賭してでもお役に立ちたいという切実な想いに溢れているか。罵られ足蹴にされてもそれでも付いて行きたいという想いがあるか。御父母様の為に苦労できることが何よりも感謝だという想いがあるか。そういった魂こそ自分であると感じられ認識できる時、自分は御父母様と共にいる。御父母様の涙に自分自身は溢れ、御父母様の血で滾る。侍るという存在が衣服を纏っている、そこまで自分の魂を高めるべきだ。

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