2008年6月1日日曜日

自分を主管する

この世はあの世の象徴的現れに過ぎない。霊界の感覚の広がり深さは、この世の五感とそれに付随するものに比べられるものではない。自我に相対する対象を主管し、それから新しいものを創造し、それを提供する(与える)ことが自我として分化した者の本質だ。その為のあらゆる感性を人間は備えている。他の為に生きるという人間の本質の為にその感性は使われる。五感以上の眠っている感性を掘り起こして精細な観察が可能になると、より霊化した創造性が発揮される。今、我々が接する地上世界は特別の者を除いて霊的な要素を防ぐ形で五感を通され、受け取る。主管力を失った人類は、直接的に霊の要素を受け取ると、その次元の違い、そして善の要素以上に悪の要素を受け取るため悪の人格が際立つか発狂する。それゆえある意味、霊的なものが覆われた世界で護られてきたとも言える。しかし時代は宇宙的変革期を迎えている。徐々にではあるが確実に霊に対する覆いが一枚一枚と取り除かれている。善の主権が確立され善の霊的要素が大幅に悪のそれを上回ってきた。その霊的な過渡期の感覚を全身に覚える。どこに行こうともその場が善の場か悪の場か、そして誰に接しようとも対する人が善神に仕えた者か悪神に仕えた者か如実に見通せるようになる。日常の外的世界に埋没していると外的な事柄が全てのような感覚で日々を送っているが、それは本質的霊的に見るなら影のようなものだ。一日を終えて休む前に静寂の中で一日を思い起こして見る。朝からの出来事を時間に沿って追うのではなく、逆に時間を遡りながら過去に向けて追っていく。そうすることで外的な事柄は薄れ、経験として受け取ったもの得たものが浮き出てくる。五感で受け取ったものが自分の感情で表現された色合いを帯びてくる。それを通して外的な事柄の背後にある本質に届くようになる。夜、床に付く前に瞑想の時を持つ。内面の観察に没頭すると本心の願いである祈りを見出せるようになる。本心の祈りを聞いてそれに標準をあわせる事で初めて、霊的に活きた歩みを為せる。

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