2008年6月20日金曜日
建国記念日
建国記念日が又やってくる。アメリカなりの記念日が色々あるにはあるが、どれを取って見てもどうも色合いが薄い。特に元旦の気の抜けようは日本の年末年始を知る者には寂しいものがある。サンクスギビング、クリスマスあたりが一番大きな祝日で、現地の人に取っては感慨深い日なのかもしれないが、傍目には買い物の為に盛り上がっているとしか思えない。覚めた目で見てしまうそういった行事の中で建国記念日で打ち上げる花火だけは、自分としてはそれなりに内面に届くものがある。除夜の鐘の音が耳に届く時の感覚と同じような感覚を、大輪の光の華を視覚に受け取る時、感じる。あれから又一年が経った、という感慨である。打ち上げが始まるまでは、アメリカ的と言えるのかどうかロックバンドがキンキンに唸り立てる。広場に設えた演奏の為の高台を前に、折り畳み椅子やらビニールシートやら持ち込み、食べたり踊ったり寝転んだりの好き勝手状態だが、始まる頃になると様相が変わってくる。起立して国歌斉唱。それからカウントダウン。打ち上げの破裂音が続け様に鳴り響き、夜空に次々と大輪の華が咲く。色とりどりの灯に浮かび上がる神妙な顔々が天を向く。花火は本来切ないものだ。開いた華が見事であればあるほど瞬時に消え行く様は悲しい。儚いものに対すると憐みの情が湧く。花火には人工的光にはない、ろうそくの灯に見る温かみが届く。が、それが一瞬であるだけに命あるものの儚さを覚える。そういった感傷はアメリカ的ではないのだろう。その感情の入り込む隙を見せまいと、続け様に打ち上げる。幾重にも打ち上げられた見事な花火、硝煙が立ち込めその視界を遮ろうともお構いなしだ。何とも風情のないやり方ではあるが、そう思いながらもケチることを良しとしないおもいっきりの良さも感じられて心地よい。半時間を超えて最後の最後ともなると、殆ど闇雲に連打して打ち上げ、煙にまみれながらも破裂音の連打が腹の底に響き続ける。そして唐突に静寂が訪れる。あれほどに賑やかしていた群れが、嘘のように無口になって帰り支度を始める。この一連の流れが祭り気分と祭りの後の寂しさを味わわせてくれる。今年もJULY4TH がやって来る。
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