2008年6月16日月曜日

プレゼント

昨日は父の日だった。子供からは何も無いがワイフがプレゼントしてくれた。気合を入れて焼いてくれたチーズケーキ、先回、お食事用のデザートにと試行錯誤しながら行き着いたコーヒーゼリー(先回は流れたのでお口にして頂けはしなかったが、、、)、そして筆記具。小さい頃、父が浜田まで出かけ子供の土産にボールペンをそれぞれ買ってきてくれたことがあった。紙袋を開けた時、目に飛び込んできた鮮やかな水色が心に焼きついている。今にすれば安っぽいものだが、万年筆に似せたそれは小さい自分をおとなにしてくれるような光を放っていた。キャップを外しては少し書き、引き出しに片付けては又出し、の繰り返しで数日をワクワクしながら送った。妹や弟は一日遊んでそこらへんに投げ出していたが、自分には大切な宝物だった。ワイフから、父の日だからと小さい包みを渡され開けたとき、子供の頃のその思い出が蘇った。手にしたときの心躍る様がありありと蘇った。贈り物には不思議な力がある。与える当人の想いが宿っていて見えないその想いが見える形となって手に届く。与える想いに触発されて、日頃は他愛も無いことで二言三言口にするようであっても、妙に切なく思えたり愛おしく思えたりしてくる。先ほど口にしたことに負債を覚えたりしてくる。私達は多くを受け取りながら生を繋いでいく。誰の世話にもならずひとり強く生きているような錯覚を覚えるが、実のところ親や家族をはじめ多くの人々の想いを受けながら生かされている。そこに神様はそういった人々を通して働いておられるし愛を届ける。だからそういった人々に対する感謝の想いが、つまるところ神様に届く。自然から光を受け、空気を吸い水と食物を与えられて生きているようであるが、本当は光や受ける全てを通して、この身を想うてくれる愛を食べながら生を繋いでいる。

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