2008年6月22日日曜日

内的自覚

目は視覚という受け取る感覚器官のひとつだ。耳は聴覚という受け取る感覚器官のひとつで、皮膚は触覚という感覚器官のひとつだ。感覚器官を通して受け取ったものが、どう自分の中で作用しているかの認識がない。受け取ったものが自分にどう働きかけようとしているのか観察する。受け取ったものを自分の思考を持って消化する。吸収すべきものを消化した中から内なる世界に取り入れる。そういった流れを認識するためには受け取ったものを表現する過程で自覚できる。例えば風景描写を試みる時に目という感覚器官から直接、手という描写しようとする器官に向かうのではない。視覚に通したものを一度内面に収めている。手を通して描くものは内面に自分なりに受け取ったものを表現していくのでありそれ故、同じ風景を描くとしても人それぞれに受け取り方が違うように表現も違ったものとなる。絵画であれ詩歌であれ何であっても受け取る対象を表現しようとすれば自分の内面の在り様や動きに意識的に関わらざるを得ない。そういう意味で常に表現を試みようと意識的に対象に向かう時、本質的内的態度を取っていると言える。そういう生活は霊的感性を高め、本質的価値に対する認識を得る。先ず行動を起こすことが必要である。今日一日の出来事を書き留めることからでもいい。どんなに些細なことでも自分の感情の動きを書き出すことで内面を観察する糸口が見つかる。

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