2008年6月1日日曜日

田舎の影

故郷に対する暗いイメージは今の今も消えない。それは、どんな真昼の燦燦と輝く太陽の下の思い出であっても、暗い感覚は変わらない。故郷に赴き、その地に足を下ろしたとたん、ジワリジワリと内側が侵食される感覚を覚える。いろんな所に居を置いて来た。二十数万の生命が数日の内に絶えてしまった広島市の中心に住んだ事もあるし、人殺しのあった家に数年住んだ事もある。しかしそういう場所とは違う嫌悪感を生まれ育った田舎に感じる。それはどうも人の念に関わるものとは違うような気がする。今の今まで、その正体を見ることが出来ずに来た。数年前、僧侶の大叔父からノート大の本が届いた。それには大叔父の歩んできた人生の流れやら、九十を越す今でこそ語る妻との出会いやら、親戚縁者のことやらが語られている、云わば自伝だ。叔母さんは(自分はそう呼んでいた)、大叔父とは一回りも違う連れ合いではあるけれど、八十に近い老人には違いない。その表現には二十に満たない可憐な女性を想い見る様に描かれていて、経を口にする印象しか残っていない大叔父の意外な面に触れたようで戸惑いもした。しかし自分を引き付けたのは大叔父の幼少の頃、即ち自分の祖父と大叔父の母方になる訳だが、その実家で起こった出来事についての記述に及んだ時だ。そう遠くない代を遡った場で、家族間の殺人事件が起きている。もし親戚がこのブログを目にすると厄介なので詳細には触れないが、自分の祖父の祖父が太刀で手首を切り落とされ翌日に死亡、加害者は直接ではないが縁者に当たり、その妻が死亡、その他数人の親戚が重症を負っている。手首から噴出す鮮血を桶で受けながらことつきたらしい。その時の詳細をありありと描いている。その記述を追いながら、背後が寒くなるのを感じた。自分の代から数代遡れば先祖の中にもいろんな人物がいることは想像できる。触れたくない様々な事柄が事実として存在する。自分はそれらと無関係でいられるとは思わない。後孫は先祖からの様々な念を血の中に受け継いで今に至っている。しかし自分に迫り来ていたものはそれとは違うそういった人生の在り様を為さしめる何かが自分に襲い、その地に暗い影を常に落としている。それに身を任せたら、底の底まで引き摺り下ろされ、精神を病む。その正体が未だに掴めない。

0 件のコメント: