2008年6月2日月曜日

ひかり

ひんやりした朝の大気を心地よく受けながら今日の一日が始まる。届いた柔らかな光が木々の緑に揺れ遊ぶ。受け取る光で命を育みそれぞれの生の意味を精一杯生きる。大気は青を濃くするほどに光に満たされ濃縮され、余りあるほどにそれぞれが受け取れるよう配慮される。母親が乳飲み子に乳房を含ませ成長を祈るように、生命の背後にある親なる方の祈りを見届ける。それぞれにそれぞれの形で愛おしい想いが宿っている。活き活きとしたその想いを見る事なしに、自然の恵みを受け取ることは罪となる。光を見る時、愛の姿をそこに見る。溢れる光を受けながらも、ひたすら与えようとされる神様の想いを受け取るに至らないなら、親としての悲しみはいかばかりか。その悲しさ寂しさも届く光に含まれている。思い悩む前に、生かされている自分、その自分に届く想いに耳を傾ける。光の通説概念をはずし、届く愛としての光を認識し、届ける方の想いに心を傾け、それから自分の思い悩みを問うてみる。愛されていることの実感を持つことが出来れば、それに向き合う思いも変わってくる。日常の全ての当たり前のことが、深い深い愛に裏付けられている。今日の一日を、受け取る全てを感謝に変えて届ければ、少しでも喜んでもらえるだろうか。

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