2009年8月13日木曜日

お盆

祖父が亡くなってから彼これ27年が経つ。祖父が亡くなって数ヶ月の後、自分は祝福を受けた。祖父の死と私の祝福は対になっている。その当時は気にも留めなかったが、祖父が亡くなることで自分は祝福を受けることが出来た。今日本は盆の入りで、田舎の裏山の陰にひっそりと佇む粗末な墓にも、派手な三角灯篭が立てられていることだろう。昨年、晩秋に訪れた時には墓に向かう小道が大笹で覆われ、近づくのも儘ならなかったがどうしただろうか。本当なら盆正月ぐらい田舎に帰って、家の世話やら墓の世話をしたいものだが物理的に難しく、足の悪い親父にさせておく以外どうしようもない。そういう親父も喜寿を超える歳になってしまった。献身を決意した時、自分の救いと言うより祖父や親の救いを望み、この道に賭けてきた。当時、全く何も解ってはいなかったけれど、自分の救いがそのまま祖父や親の救いであり、自分が信仰の道を歩むことで先祖や後孫が信仰の道を歩むことになる、そう言った認識はあった。しかしながら親の傍に居て生活の面倒を見たり支えになってあげる訳ではないし、逆に心配をかけ、周りや親からすれば不良息子でしかないのだろう。それでも粋がって親の為にと思っては来たが、ここまで辿り着いて見て本当のところは違うのだと言うことがわかった。み言を学び、真の父母に侍る歩みを自分の力だけで為しているのではない。私は理解しているから当然のようにみ旨を歩んでいるけれど、理解できずに子を心配し、途絶えることの無い内面の患いを抱え続けた親こそ、私が歩むみ旨の土台を支えている。御父様が北韓の収容所に居られた時、母親が差し入れを携え何度も訪問されながら、御父様は母親の目の前でその差し入れを他の者に分けてあげてしまった。母親がそれを見て涙を流し落胆された様子を食口は伝え聞いているけれど、御父様の母親に似たものが自分の親にも当てはまるだろう。それなりに手塩にかけて育てたにも拘らず、外的には親には見向きもせず、様子を知らせるでもなく、ひたすら教会の為に汗を流している。子を案じない親など何処にもいない。自分が本当の意味で立たなければ親は報われることは無い。理解もしていないみ言を確信し、その価値がわかっていないにも関わらず真の父母に侍る事が出来ると言う時点で、自分を超えた多くの働きを自分は得ている。明らかに親があり先祖があり、多くの共助を受けて自分という存在を中心として歩んでいる。私を通して親や先祖がみ旨を歩んでいる。お盆は霊界に居る先祖が尋ねてくる期間であるけれど、み旨を歩む我々には祝福先祖を初めとする先祖達が常に共にあって歩んでいる。我々に取ってお盆は、共に歩んで下さる先祖に、より強い感謝の想いを供える時である。

0 件のコメント: