2009年8月3日月曜日

宇宙認識

地上世界の物理的認識を宇宙にも当てはめようとするけれど、無理がある。物理的判断は空間内に限り有効であり、宇宙全体が空間内に位置しているとか収まっているとは言えない。天空に輝く星の一群が、空間に浮いているものだと何の疑いもなく受け入れている。自然科学への信頼が外界に対する認識の殆どを占めており、今の自然科学では計り知れない世界の領域の方が圧倒的に人間存在に影響を及ぼすという認識、自然科学は知の領域のほんの僅かであるという認識に欠けている。多神教であった日本の今は、他のどの地域よりも唯物的信仰に捕らわれている。宗教的なものをせせら笑い、自然科学的なもの、唯物的なものを認識の根底に置いて、宗教的なもの、道徳的なものはそれらに付随する程度の認識に過ぎない。それは宗教を否定する唯物論、外的感覚至上主義という唯物信仰、感覚信仰に他ならない。物理的肉体的には空間内に存在していると言えるが、霊的内的には空間を越えた次元で存在している。母の胎の中で地上世界の準備をするように、地上世界という空気の胎の中で、霊界への準備をする。母の胎の中にいつまでも居られないように、地上世界の中で空間的存在として居られるのも限りがある。地上人間の全ては或る期間を超えると空間を脱しなければならない。それが死を迎えるという意味だ。人間は地上生活を生きながら、目に見える視覚認識を超えた、生命的なものを感知できる感性を備え、更に、生命に宿る心魂的なものと授受できる霊性を備えなければならない。全ての万物、大気活動を初めとする全ての地球活動、更に月存在、惑星存在、太陽存在、満天に輝く恒星存在、宇宙存在、そして宇宙活動には物理的な認識では捉えられない、生命的認識、心魂的認識でこそ、宇宙の叡智に参入していく事が出来る。頭上に広がる空の青さは、宇宙の生命を目に映るものとして象徴的に現されており、夜空に輝く星の群れは、目に確認できるものとして宇宙の心魂を象徴的に現されたものである。空の青さから私は何を受け取るだろうと問わなければならないし、星の輝きから私は何を受け取るだろうと問わなければならない。み言に込められた御父様の心情を尋ねていく時、太陽を貫いて宇宙に参入していく自分を体験している。太陽から放射される空間の胎の中で生きながら、霊的存在、心魂存在の外的現れ、象徴的現れを介して学びながら、霊界への孵化(死)に向けて時間を食べている。

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