2009年8月10日月曜日

今日の想い 97

真の父母の御名を我々は唱えることが出来る。どのような環境圏、事情圏の中にあっても真の父母の御名を唱えることが出来るという事が、福の中の福だと言えなければならない。善に通じる言葉があれば、悪に通じる言葉もある。地上に縛り付ける言葉もあれば霊界に通じる言葉もある。しかし、真の父母という言葉はそのまま神界に通じ天国に通じる。真の父母と唱えることによって発生する感情を呼び起こさなければならない。サタンが大きく関与するこの地上界に於いて、魂の中に湧き起こる感情はサタン的気分に支配され、我知らずサタン的気分で地上生を送っている。どっぷりとサタン的気分に浸かりながら、真の父母、と言葉を口に出しても、サタン的気分に掻き消されて天に通じる感情は呼び起こされない。この世的サタン的気分を排しながら、この世的サタン的気分と戦いながら、真の父母の御名を唱えなければならない。誰しもが何らかの気分や感情を持ちながら地上生を送っている訳だけれど、そう言った日常的気分を超えたところに霊的な、或いは神的なものが揺らいでいる。不自然な形で日常的気分を超えようとするなら、それが麻薬であったり黒魔術であったりする訳だが、霊的歪みの中に入り込んでしまう。異常な感覚的歓喜を受け取るけれど肉体や魂がそれを支えきれない。魂が分裂し肉体も破滅に至る。地上的な喜びは感覚的喜びであるけれど、それを突き詰めれば破滅しかない。サタンが人間に持ち込んだものは、感覚世界のみに限定された喜びの不適切な追求であり、本来は違った形で感覚世界に入るべきものを、ルーシェルの誘惑により急ぎすぎた受肉が人類始祖に於いてなされてしまった。だから人間が地上界という感覚世界に対する仕方、在り方が間違っていると言う認識を持ち、それらを一旦否定して(自己否定して)み言から来るところの感情をもって生活することを覚え、習慣化する必要がある。

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