2009年8月26日水曜日

星を見ながら

バージニア方面に向かう必要が出来た為、家族で出かけて来た。少し遠回りして山道を選んだのはそれなりの理由がある。私が原理講義を通して受けたのは三日修でありその次の七日修であったけれど、どちらも修練会場は廃校の小さな木造校舎で、人気の全く無いお化けでも出そうな所だった。そのような場でみ言を受ける体験がどんなものか、その効果の程を知っていたので、人気も無く、街の光も届かない山の中でこそ、子供達本人が普通はなぞる程度で済ます内的なものを、外的なものから隔離することでより意識するだろうと言う計算があった。下界は暫く悪天候が続いていたが、行く前日辺りから温度も湿度も下がり、久々の晴天だった。山上もそうであって欲しいと祈りながら向かったけれど、山の天気は変わりやすく、日中は太陽が照ったり翳ったりの状態だったが、暮れ行く頃には祈りが届いたのか空一面晴れ渡った。今回、子供達にどうしても体験させたいことがあった。それは下界では見ることができない、星雲までも視認できる程の夜空一面の星を受け取ることだ。夕方九時を超えると一気に闇が広がり始め、半時間も経つと西の空が辛うじて光の余韻を残すのみで、辺り一面は闇に覆われる。闇がその度合いを強める十時頃、小さなロッジを出て空が見通せる広場に繰り出した。皆で空を見上げると正に降ってくるほどの満天の星だ。北斗七星、さそり座、カシオペア座、ギリシャ神話の神々が輪郭を現すほどに五等星、目を凝らせば六等星までも姿を現す。一同感嘆の声と共に首が痛くなるほど天を見続けた。親の私に取っても久々の事だったが子供達にすれば始めての体験で、山頂近くの天に最も近い場所で、風も無い漆黒と静寂の中、数え切れない星々とのみ自分が相対している。受け取るものはそれぞれ違い、悟性的なものであったり感情的なものであったりするけれど、或いはそれが何なのかわからないかも知れないが、明らかに何かを受け取っているはずだ。受け取ったものは内的に息づいている。いつかは解らないとしても遠からず今日受け取ったものを内面から改めて取り出し、受け取った意味を理解するべく内的に消化する時がくる。感受性の深い、スポンジの様な若い魂の今こそ、受け取っておくべきものが沢山ある。星々の光が宇宙の心魂を象徴としていると言った様に、視覚を通して受け取った、瞬く星の宇宙の心魂の象徴を若い魂が食しながら、内面という自我宇宙に大宇宙の心魂を鏤めて影響を及ぼし、自我宇宙の神話を作り出している。そしてその内面様相を地上界の人生として映しだしている。人生路程の中に動かしえぬ血筋から受け取り、決められた清算すべきものを背負っているが、それらを凌駕する大宇宙の心魂的影響を受け取る者もある。それが、或る星の影響下にある者達だ。御父母様のもとに集められた者達は、特別の星の影響下にあることは間違いない。二世としての存在意義は当の本人も一世も解らずにいるが、二世は二世としての、一世とは違う星の影響下にあることも間違いない。星を見上げている子供を見ながら、彼らは彼らで私には解らない言葉で、或る星からのコンタクトを取っているのだと感じた。

1 件のコメント:

松西寿三 さんのコメント...

すばらしい体験でしたね。