2009年8月1日土曜日

神霊的歩み

富を持つ者と持たざる者がある。権力を持つ者と持たざる者がある。富はサタン世界の中に組み込まれている。権力もサタン世界の中に組み込まれている。富を持とうとすればサタン世界の道理に生きる必要があり、権力を持とうとしてもサタン世界の道理に生きなければならない。富を持とうとすればそれ相応の醜い道理の中に頭を突っ込む必要があり、権力を持とうとしてもそのように悪の道理を呑まなければならない。只単に我々は外的実力がないから富を得ることが出来ない、と言う訳でもない。サタン世界の中に富も権力も組み込まれてはいるが、優勢を保ち続けてきたサタンの勢力も、後天開闢の時代が開かれると善の権勢がサタンの勢力に取って変わり、サタン世界は衰えを増すばかりだ。サタン世界の中に組み込まれている富も権力も同様に衰えを増している。生きる糧を得るために、どうしてもコバンザメのように富を持つ者や富を持つ社会に身を寄せる必要は出てくる。必要以上の糧を得ようと欲を出せば、より身を預ける必要性が出てくる。そうなるとサタン世界に媚び、サタン世界に重心を置くようになり、魂までもサタンに売り渡すようになる。このように先天時代は、神様に顔を向けて生きようとすれば、清貧の生活を余儀なくされてきたが、これからは神が主管できる社会に変わっていく。富は濁った汚いものであったのが、清い富、清い富の生活が起こりえる。誰かを蹴落とし欺くことで富を得るということが否定され、人々を愛し為に生き、神の叡智から来る価値創造を地上界に展開することで富を得る時代に入っている。今まではこの世で成功しているビジネス業種の真似事をしてきたが、これからは我々自身が真の愛の文化として真の父母から来るもの、この世からでなく内から抽出されたものこそ富の源泉となる。み言の思考を繰り返す中で結晶化されたビジネス哲学が一人一人の中で、全体として、必ず用意されるはずだ。その途上として私が確信するところの神霊商法も、その一里塚と言えると思う。我々の教会に神霊と謳われている以上、神霊的思考があり、神霊的生活があり、そして神霊的ビジネスもある。

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