2009年8月22日土曜日

原理の生活化

原理の生活化と言う言い方をする。生活の中に原理を当てはめる、或いは原理に当てはまる生活を選ぶ、と言う逆の認識で捉えてしまっているけれど、生活は変わらないもの、変えられないものという無意識の認識がどうしても意識下の基底に動かぬものとしてあり、み言が先ずありきでそれが生活様相として展開していく、と言う概念からはかけ離れたものとなる。信仰生活らしきものを何年続けても生活と原理は平行線を辿り、その距離を維持するので精一杯となる。三年経つと地上天国は出来る、と言われたのを鵜呑みにして献身した当時の基準と今の自分の在り様と比べてみた時、あいも変わらず何処かに天国ができるらしく、霊界に行ったら天国に入れるらしいと夢うつつの中で蜃気楼にでも住まうような認識に留まっているなら、自分はこの道にいるべき存在ではない。外的形としては他の食口と同じ生活圏にあるかも知れないが、原理の生活化が為された立場では自分の内面が天国化されるのを外的生活以上に現実として受け取り、そういった者とは辿る道も違えば行き着く目的地も違う。原理が生活化されたものとこの世的生活とは実感度はまるっきり違う。後者が毎日が同じ事の繰り返しの様に思われるのに比べ、前者は一日として同じ日が繰り返されることは無く、み言が目の前で展開される感覚を覚え、み言が繰り広げられる事柄に生きて姿を変え、内的霊的な学びを受け取る。原理が生活化された生活様相が、どれ程色鮮やかであり感情として受け取るものに豊かさや深みがあり、普通は目にも留めない小さな事柄も驚くほどの意味を自分に差出し、感動や感謝を覚える。今すぐに御父母様と同じ生活圏に入ることはできなくても、み言を思考の基、感情の基、行動の基とし内的訓練を積めば、いつか必ず原理の生活化、即ち覚醒的地上生活が訪れる。

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