2009年8月22日土曜日

魂の成長

肉体を纏うことで地上界に暮らしてはいるけれども、地上界で自分に関わる事柄は感情に反映され、快や不快の在り様の中で暮らしている。地上界に籍を置きながら魂界をわたり、感情の海に揉まれながら生きているということだ。欲という魂様相としてのかたまりを、より強固なものとして固体化させればさせるほど、感情の海に揉まれる度合いは高くなる。泳ぎを学ぶ子供の様に、身体の力を如何に抜くかを学ぶ必要があるが、魂界に於ける感情の海にもそう言った事は当てはまる。しがみ付く欲の力を抜いて魂の個体様相から液体様相、液体様相から気体様相へと魂を昇華せさる為には如何に委ねるかということであり、委ねるとはより高次存在への帰依を言う。個人は家庭の為に家庭は氏族の為に、氏族は民族の為に民族は国家の為、国家は世界の為世界は神の為、家庭の為の自分であると言う意識に目覚め、個人的感情から家庭的感情に移るとき、より高次の存在に帰依していると言え、家庭から氏族、氏族から民族等々にも同じことが当てはまる。個人的感情の海を制する為には家庭的魂への帰依、家庭的感情の海を制するには氏族的魂への帰依が要求される。自分の願望や欲で溢れかえった十代の子供の魂様相が、母を気にかけ父を心配し、兄弟を思い遣る思いが芽生えてくる。そうなることで次第に個人的感情の海を主管できる。家庭問題へ向けられる様々な心労に揉まれる様相を泳ぎきる為には、氏族的意識に目覚め氏族に於ける私の家庭の役割は何か、家庭の問題に呻吟することで何を氏族に提供しているかを問わなければならない。個人に於いて縦的な内的霊的なものと横的な外的肉的なものとが関わって感情生活を為しているように、家庭に於いても縦的なもの横的なものとが関わって家庭的感情生活を送り、それぞれの家庭的気分の中で生きている。個人に於いて縦的なものに御父様を迎えるように、家庭に於いては縦的なものに真の家庭を迎える必要があり、更に氏族に於いては縦的なものに真の父母の氏族圏、祝福家庭の群れを迎えなければ、氏族復帰はなし得ない。家庭という存在感は認めるとしても、食口の中でどれほどの者が自分の中に氏族的意識を確認でき、氏族的気分を覚えながら生きているだろうか。亡くなった祖父や祖母を想い、親族を想い、先祖の解怨を願うのは氏族的気分ではあるけれど、本当の意味で氏族的魂レベルを得た者は真の父母の氏族圏である祝福家庭の兄弟姉妹を、縦的なものとして自分の中に迎え入れているかどうかを問うている。真の父母に侍り、真の子女様を兄として姉として慕い、祝福家庭である兄弟姉妹を思い遣る。養子として何人も自分の子を差し出している家庭は、氏族的魂の縦的なものを供えていると言う事が出来る。個人として生きる術を得ていると満足している者は、波のない魂のプールで泳ぐことが出来ると自慢している様なもので、大海の荒れ狂う波を主管し鎮める程の、高次の魂様相獲得への段階を登りつめる意志を備えてこそ、虎の子は虎の子と言うように、真の父母の息子娘と言う事が出来る。

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