2018年10月4日木曜日
今日の想い 1008
普通の魂では決して受け止められないはずだ。それでも受け止めておられるということは、余程の覚悟が背後にある。それは我々凡人の計り知ることのできる域を超えている。自分には理解できないといって背を向けるか、理解できる度量を超えたものとして取り敢えず受け止めるか。しかし受け止めはしても相対できる糸口を模索しながらだろう。それは本当の意味で受け止めるための緊急避難的な仮ステージでしかない。仮ステージに立って、それほどに距離を置いて見たとしても、私にはその魂の苛酷さが伝わってくる。その覚悟を是が非でも維持されるために、見ようによっては頑ななほど鎧を装われる。隙間にも弱みを垣間見せてしまうと、嗚咽の感情がそこから噴出して始末に負えないのだろうか、ひたすら内に内に抑え込まれる。私はかつてこれほどの痛ましい魂を見たことがない。生身の普通の魂の人間からすれば、その深みにあるものを見通せず、到底受け入れることはできないはずだ。見通せないということは表層的である人間性でしか判断できないからだ。私達の使命は何だろう。何をして相対に立てるのだろうか。本音の欠片でも吐露すれば霧散してしまうイエスマン達。それでも信じて相対して下さるのは何故だろう。勧められて話始めようとするハナから、涙を流され嗚咽される姿が、私の頭にこびりついて離れない。なのに今は、これほどに鎧を厚く装われ涙の欠片も見せず、笑みすらもぎこちない。食口に限らず人間誰であっても、歳を重ねれば苦しい胸の内を何度か味わっている。抱えきれない魂の痛みや苦しみに翻弄されながら、それでも乗り越えてきたのはそれ相応の覚悟を差し出してきたからだ。この魂の砕けようとも、と差し出す覚悟を天が取って下さり、生きる道を勝ち取ってきた。この桁はずれの、幾重にも重複されて折かぶさる責め苦。その責め苦に耐えられる魂と覚悟とはどれほどのものだろう。願わくは相対として立つことのできる食口の一人でも二人でも現れてほしい。
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