2018年10月16日火曜日

今日の想い 1013

自分の人生をかけて天宙復帰に身を投じ、世界の復帰、人類の救いの為に奔走してきたのではなかったか。今どこにその結実を見ることができるだろうか。私達は清平の建物の為に歩んできたのだろうか。結実をそこに見るとして、それで自分の良心は納得するのだろうか。祝福を受けて先ず安心し、子供に祝福を受けさせて更に安心し、それで自分は満足して心置きなく霊界に旅立てる。本当にそうだろうか。その自信が霊界の入り口を超えてまで続くだろうか。祝福の証を立てられないという現実、二世の大方が祝福を受けていないという現実、それにも関わらず自分は祝福を受け子供も祝福を受けたことだけで安堵して居られるのはどうしてだろう。それは我良しの自己中心とは言わないのだろうか。人の痛みを自分の痛みと感じる感性は一体どこで失ったのだろうか。信仰の実りはその感性を強くするものだったはずだが、その逆だったのだろうか。最初に教会を尋ねた時には確かに愛があったはずだ。自分にもあったし教会にもあった。伝道目標もあるにはあったが救いたい一心で声をかけたはずだ。かつて真理と神霊を求めた私は今、実はずっと昔に諦めていて、惰性か言い訳の為に信仰を繋いでいるのではないだろうか。本当に求めた結果を受け取れなかったからか、それともやはりボタモチが落ちてくるのを待つだけの私だったからか。あらゆる問いかけが朝に夕に心の中を駆け巡る。駆け巡って爆発しそうになる。私の良心はこのままで終えようとする私を責め立てて許さない。

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